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「腐女子、うっかりゲイに告る」を一気見した。

自分はいわゆるLGBTに対する理解が低いことを自覚しているストレートな人間ですが、全話を通して視聴し、途中自分でも驚くくらい共感し泣けてしまった。大傑作です。

自分はストレートとは言ったものの、性嗜好に限っての話であり、お世辞にも「普通」の生き方が出来ているとは思ってはいない。大体、特徴もなくどれもこれも茹でた卵みたいにツルッとしていて、棘があるわけでなく、毒があるわけでない、それがある事になんか意味あんのかよ?と彼これ半世紀近く斜に構えている「普通」という存在を私は克服できていないのだから大きな顔はできないのである。どうやら思うところと違い「普通」というやつはなかなか骨っぽいらしい。煮ても焼いても食えないとでも言おうか。

「普通」の流儀は実はそれほど複雑ではないことに気づいて訳知り顔で運良く「社会」に参加できたとしても、ある日突然何度コインを入れてもイジェクトされてしまう壊れた自動販売機みたいに「社会」に拒絶されてしまうという事は珍しくもなく、そしてそのことに気がつくや否や「社会」は「試練」「挫折」「不適合」という名の付箋を私たちに貼り付ける。

何故か、元を正せば「社会」とは最初の1人の幻想が長い月日を経て現実に構築された概念だからだ。その概念の同意者にのみ恩恵が与えられるシステムだからだ。

しかし、忘れないでほしい。
「世界」は自分の手で選べるのだ。自分に目掛けてやってくる世界を掴み取るのは自分だけなのだ。そこに他者が介在する余地はもとより無い。

「好きなものを全力で伝える」

「好きは消える事はない」

最近触れる機会の多い本作の脚本家、三浦直之さんの通奏低音ともいえるキーワードだ。LGBTという個人のアイデンティティに深く根差したデリケートな問題を丁寧に丁寧に紡ぎ多くの人が共感できる「好き」に全力で挑む若者の物語へ昇華させた三浦直之さんの手腕は特筆すべきもので、そしてその秀逸な物語を藤野涼子と金子大地を始めとした若手俳優が熱く純度の高い瑞々しさで見事に演じている。

それにしても藤野涼子演ずる腐女子・三浦紗枝の女神性はどうだろう?中島みゆきもびっくりの寛容さと包容力には南極の氷も溶かしてしまうほどの熱量があった。紗枝の存在がどれほど純の凍った心を暖めたのかそれを思うだけで熱いものが何度も込み上げてきた。

もちろん金子大地も素晴らしい。
昨今の葛藤があるたびに「ウワーッ」と喚き散らす演技に辟易していた私はこれほどまでに抑制的な演技でも十二分に孤独や苛立ちを表現し切ることができる金子大地の存在に思わず快哉を叫んでしまった。「サマーフィルムにのって」でも抑えた受けの演技で伊藤万理華のポテンシャルを面白いまでに引き出した金子大地、彼と組む事ができた俳優はなんと幸せなのだろうか。彼の活躍から目が離せない。

鑑賞前、自分は傍観者としてこの物語を見ることとなりそうだとの予感は大きく裏切られズケズケと私の中の「普通」をこじ開けた。問いかけてきた「お前は本当に普通なの?」と。

願わくば紗枝と純がいつまでも仲睦まじく隣り合える世界が続いて欲しいですね。

三浦直之に脱水症状にされかかった日曜日の午後に見たドラマの感想でした。

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