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有村麻央さん、憧れの王子様になってください

親愛度10シナリオについても言及しています。ご留意!

2024/6/12の思い出


学園アイドルマスター、ゲームとして面白すぎる。
麻央、かわいすぎる。


そしてわたしは、ここに「麻央、カッコよすぎる」と、堂々と書き記したかった。いや、麻央はカッコいい。カッコいいよ。カッコいいって言わしてください…………!!!!!!


学園アイドルマスター。面白すぎるのだが、どうしてもシナリオ、キャラクター……というか有村麻央さんというわたしが見出した最初のアイドル、最初に選んで最初にA+という巨大な山を乗り越えるに至った方の扱いについて、いかがなものか……という気持ちが日に日に強くなり、ついにはその気持ちがおさまらないまま宵越してしまった。

ので、こんなものをしたためる羽目になってしまった。小説以外の長文なんて書きとうない!!!! 助けてください。


有村麻央さんについて

麻央のコンセプトは「可愛くてカッコイイ無敵のアイドル」。歌劇のスタァに憧れる彼女は、しかし生まれ持った体躯、憧れと真逆の「可愛い」と評される容姿によって憧れの王子様への道を阻まれている──そんな彼女のシナリオの肝は「ありのままの自分を好きになる」だ。


この「自分を好きになる」という点は美しくもあり、時に厄介だ。彼女が今幸せならそれに関してやいのやいの言うのはどうなんですか? あなたのワガママを麻央に押し付けてるだけじゃないんですか? と言われている気分になる。ひとは誰もみなおんなじではないから、正解かどうかは君が決めていいんだって麻央も歌ってるし……


なので(?)わたしもワガママ言わしていただくことにします。


麻央には憧れていた王子様的カッコよさと持ち合わせてしまった可愛さ、褒められて頬を赤らめてしまう可愛さと悪漢に立ち向かうことをも厭わないカッコよさ、すべてを併せ持つ「可愛くてカッコいい無敵のボク」になっていただきたい。外見的にも可愛い王子様が存在して何が悪い? 何かなことがあるか? 

そういう話をさせてください。


ガクの最高率アイドル生成プラン

彼女の可愛さを見出して近づく者は数あれど、王子様のようなかっこよさを希求する彼女を理解しようとする者は現れない。しかし颯爽と現れた学マスP(以下:ガク)は彼女を知り、想いを汲み取り(?)、その上で「可愛いからこそかっこいいアイドル」を目指すよう仕向けていく……というのが親密度シナリオのだいたいの流れ。

この辺りはまあ、良いと思う。自分の持つ特質を好きになれたら言うことなしだ。問題は、この後麻央がどんどん「可愛い」に適応していき、「素の自分」としてどんどん可愛いを目指していく方向に染まってしまうことにある。

麻央が意外とチョロいのもあるが、ガクがとにかく可愛い可愛いと褒め続ける(麻央シナリオにおけるガクはこの役回りを担うばかりで、あまり面白みがない。ゆえにシナリオ全体を通して面白みに欠けるという問題も発生しているが、これは置いておく)のが大きい。


同じライターが執筆している莉波シナリオは、ガクが弟くんになることで莉波が本来持っているお姉さん属性を最効率で育成している。莉波に関しては最後まで読めていないため不明瞭な部分もあるが、麻央莉波ともに本来持っている性質を目覚めさせ、アイドル活動に活かしていこうというコンセプトなわけだ。また、莉波に関してはそれを望んでいる向きもある。お姉ちゃんと弟くんが揃えば百人力である。

しかし麻央の場合は、本人が「可愛い」を拒絶しているという前提がある。同じ方向を向ける莉波の事例とは変化の向きが少し違って来るのだ。それはアイドルとしての開花を狙う以前に、他者の価値観に大きく踏み入っていく行為である。

結果的にその行いは麻央の苦しみを取り除くことにつながった。が、それは麻央がこれまで行なってきた「可愛い」への抵抗を潰してまで行うべきことだったのか? 王子様を目指すのではなく可憐さの中に輝くカッコよさで戦うのだ、という屁みたいな理屈で言いくるめていいものなのか? そして「Fluorite」のミュージックビデオで描かれたような葛藤、そして可愛いとカッコイイが並び立つ姿は、どこに行ってしまったのか? 結果としてその屁理屈は、麻央の精神的なを資本主義に立ち向かうためのガクの槍に変えてしまったのではないか?

どうしても、その辺りがモヤってしまう。細かいところを見ていきます。


外見の変容/自己の変容

親愛度シナリオにおいては5話で服を、6話で髪型を変えてみようという話になる。麻央も認識の変化と新しい挑戦にノリノリだ。楽しそうで良かったですね、麻央もかわいいです。


そもそもの話として、服装や髪型を変える必要はあるのだろうか? 髪型に関しては麻央からのご要望なのでこっちからなにを言うこともできないのだが……これまで培ってきたもの、演じてきたもの、手に入れようともがいてきたものを諦めるのではなく〈それも含めて自分である〉という方向に持っていくことは出来なかったのだろうか?

ここで、麗しきSR衣装を纏う麻央を見ていただきたい。

カッコいい。カッコよすぎです。SSRの衣装がそこまで刺さっておらず、逆にこっちがブッ刺さって死ぬかと思った。自分がどこまでも〈メンズライク美少女〉の奴隷なのが感じられ、それがこういうnoteを書いてしまうことにつながっている。

宣材写真の髪型、変えなくてよくないですか? 方向性も、これで良くないですか? そう思うのは、わたしが〈こういうの〉が好きだからでしょうか。そうだろと言われたらなにも言い返せません。でもこのnoteはわたしのワガママなので何を言ってもいいとされている。


朝起きて髪をセットする。そんなひととき、髪が下りている「可愛い」自分をも愛せるようになれば、鏡の前で麻央が顔をしかめる日も減るだろうか。そうであればいいと思うし、そんな描写が少しでもあれば納得できるだろうか。

すべての問題点は麻央がこれまで拒絶していたものを望むようになるまでの障壁が、ガクの登場と屁理屈という点でポンと飛び越えられてしまう点に見られる。結局ここに結実してしまう……6話に関してはまだ続きます。


ことね、来る!


この後麻央はぺしょ……(かわいい)となり、ことねは(ヤベッ……)って感じになる

ガク!!!!! 早くこの女を殴れ!!!!!!!

最初にシナリオを読んだとき、冗談抜きでこう思った。ガクは殴らないどころか反応すら示さないし、麻央はショックを受けるしで大変な事態である。思えばこの時点で気づくべきだったのだが、あれ? という違和感だけぶらさげてそのまま学マスを遊び続けていた。


藤田ことねさんが、果たしてそのようなことを言うだろうか? 自己肯定感はなくともちゃんと賢いこの人が、他者が日々人前に出るべく選択している容姿を見てとまで、言うだろうか? 少なくともわたしはそう思えなかった。

ゲームは文字情報だけで展開せず、ビジュアルが付く。そして、麻央は既にして美しく可愛くカッコいいため、特に変だとは思えない(オタクびいきの視点だったら、ごめんね……)。前述のSR衣装がバチンバチンに決まっているのもその事実を補強してくれている。

結果的にシナリオの説得力がビジュアルに負けて欠けてしまった上、ことねの解釈違いまで発生している。これは監修段階でどうにか出来なかっただろうか。伏見先生、どうなんでしょうか。お助けください。あと藤田ことねさん、本当に大好きです。殴らせないでください。


ホントのボク(親愛度10)

特に味がしないTrue Endシナリオを経ての親愛度10では、麻央の変化が「服装/髪型の変化」「憧れのスタァが女優として活躍する姿を、逃げずにちゃんと見つめられるようになる」というエピソードを通して描かれる。そして、自分を好きになることができたこと、そこへ導いてくれたガクへの感謝が伝えられた。

そして、新しい衣装と髪型「ホントのボク」が解放される。

麻央の私服は、SSR衣装と同じショートパンツスカートの形を取っている。可愛さとカッコよさの間を取っていて、個人的には好きな部類だ。これをして「ホントのボク」というのはまあ、頷けよう。けれど、髪型の方は──どうなのだろう。

変化の末に受け容れられたありのままの自分。それこそがホントのボクだというのはわかる。だが、これまで憧れて、阻まれて、それでも抵抗しようともがいてきた己もまた「ホントのボク」ではないのだろうか? その抵抗は、もう過去のものとなってしまったのだろうか?

一人の少女の精神性を、捻じ曲げてしまったのではないか?

流行ってるメイクも真似してる内に様になってくると、結束バンドの喜多郁代さんが言っていたのを思い出す。王子様に憧れる中で王子様的なカッコいい立ち居振る舞い、人間としての在り方が内面化されたように、麻央が希求し、獲得した外見的なかっこよさは麻央のものになりきれなかったのだろうか? というか、可愛くてかっこいい無敵の王子様アイドルを目指すのではなかったのですか?

たとえフィクションでも、立ちはだかる現実に折り合いをつけてやっていかなきゃ駄目ですか? 憧れに妥協なく突き進んで抗って、その先で輝く景色を拝むという物語ではいけないのですか?


願わくば真に麻央の前に現れてほしいのは……いや、現れるべきだったのは、心の中の想いや憧れと乖離して変化していく自分の体に対する抵抗としての服装、髪型選び、立ち居振る舞い──そうしたものを理解した上で共に抗う〈同志〉のような人間だったのではないか。

自分が可愛い容姿を持つということを受け入れる。その上で成りうる最高のかたちとしての〈可愛い王子様〉を目指しもがくことを選べなかったのか。

『違国日記』における槙生の言葉を思い出してしまう。

『違国日記』1巻 156ページより


おわりに

今年の前半はミリオンにハマっていた 入口はミリアニ……ではあるのだが、友人にしきりに見せられたミリシタのMV、多すぎる上に名曲ぞろいの楽曲群に魅せられたのが真の入口だ。体感の印象としては現実のアイドルにハマった時の感覚が近い。普段はアニメなど、物語から入ることが多いのでこの入り方は新鮮だったように思う。

これはつまりアイドルちゃんたちを「人間である前にアイドルとして認識」してコンテンツにハマったと言える。ゆえにアイマスのアイマス的な部分に関しても「まあ、アイマスだからね」と目を瞑れるところがあった。その中でもかなり人間度が高い徳川まつりさんを好きになっている辺りにわたしの感性が透けて見えるのだが、それは割愛。

今回の学マスは完全に「アイドルである前に人間として認識」の視座でコンテンツに突入している。それゆえに、アイマスのアイマス仕草の延長に在る麻央を取り巻くアレコレを「まあ、アイマスだからね」では流せなかった。その上わたしにとっての地雷みたいな部分を踏み抜かれているから、もうこうなることは必定だった。

わたしはどうすればいいでしょうか。

おわり


追記
シナリオの面白さについて記事中では置いてしまったが、置いている場合でもないのではないかと思い至った。

面白ければなんでもいいとまでは言わないが、面白ければ倫理は二の次になる。面白ければ説得力が生まれてしまう。

こと有村麻央というキャラクターに関しては、菊地真(かっこいいけどかわいくなりたい、その上で王子様をやる)を逆さにしたような要素配置で組み立てられている。意外とチョロい点等々含めてかわいい/おもしろポイントは適宜置かれており、この塩梅はキャラクターの倫理に重きを置けるコンテンツでは中々取り回せないだろう。わたしみたいに勝手に暴走して事故を起こす人間がいっぱい現れるに決まっているので。(これらの観点に関しては記事を読んでくれた友人よりご指摘いただきました。ありがとうございます)

莉波のシナリオに関しては、わたしが読んだ範囲に限ってはガクが弟くんになるという軸がある程度の推進力になっていたように思う。

が、麻央に関しては麻央のキャラクター性という一点で推進していたように思う。テキスト量もそこまで多くないゲームなのでやれることに限りがあるのはわかるし、キャラクターコンテンツだからそれでもいいと言われればそれまでだが、推進力があればあるだけその他の事情が一旦脇に置かれるのは事実で、面白さで言いくるめることだって出来るのだ。わたしのような人間が出てこないとは限らないが……。

ではどういう推進力があればこのお話はもっと良くなったんですか? という話になるともう創作論の域に突っ込むのでこの話題からは逃げさせてください。自分で突っ込んどいて逃げるな!!!! はい…………。どうすればいいでしょうかと記事中に書きましたが、やることは一つしかなかった。この怒りのナイフを大事に懐に仕舞って勝手に戦うこととします。



わたしに残されているのは、麻央のこれからを見守ることだ。親愛度10を読み終えたとき、ここから先を見せてもらわないと始まんないどころか話にならないだろ…と思ったのを覚えている。

自分を好きになった麻央の物語はここから始まる。わたしの抱く懸念を嗜みの格闘技でエイヤと打ち砕いてくれるかもしれない。
そうあればいいと、思う。


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