見出し画像

上京してバンドを組むまで。1990年代⑫(デビューライブは高円寺20000V昼の部)

Y君とスタジオに入って「練習という名の奇行」を繰り返していたがようやくドラマーが見つかった。

Y君と同じ高校に行っていたN君だ。

N君は俺以上に小柄だが筋肉質で空手やキックボクシングをやっていたり、昼夜バイトを掛け持ちして稼ぎまくっているようなパワフルな人物だった。

N君とは妙な縁がありバンドが解散してお互いなんとなく疎遠になったあとも、ふと入った居酒屋でN君がバイトをしていたり、その後も間違い電話がきっかけでまた連絡を取るようになったり、しかもお互い何度も引っ越しているのに偶然近所に住んでいることが発覚したりと、20代から付き合いが続いている友達だ。

N君は俺やY君とは違い本当に働きものだった。

だから若い頃からお金に困っているところを見たことがない。

寝ないで働くN君のことをY君は

「Nはシ◯ブ要らず!笑」と言っていた。

N君は古着、スケボー、スノボー、サーフィン、ポケベル持参と90年代カルチャーの申し子みたいなところがあったけど、高校生の頃の写真を見せてもらったらもろに「どヤンキー」だった。

ちょうど俺らの世代は高校の途中までヤンキー文化全盛、後半にアメカジがやっと普及してくるといった感じではなかっただろうか。  

※しかし俺の話には「ヤンキー」という言葉がやたらと出てくる。世代、土地柄を考えるとどうしても避けれないワードだから仕方がない。

やはりドラマーが加入してからは展開が早く、オリジナル曲も何曲かできた。

曲調はUSハードコア風、グランジ風が半々でそれに妙なカバーが2〜3曲といったところ。

歌詞はほとんど無くて適当な叫び声のみ。

Y君の影響でガバテクノを聴いたりしていたのもあって、何故かロッテルダムレコード(オランダのガバテクノのレーベル)に入っていたアーティスト(名前は失念)のカバーをやったこともある(テクノの曲をバンド編成で無理矢理演奏)

今思うと当時の最先端なものは全て取り入れたかったのだと思う。(その発想が田舎者っぽい)

それにしても節操がなさすぎる。観ている方は「??」となったことだろう。

そうこうしているうちにデビューライブが決まった。

当時の職場で仲良くなった人がハードコア系のバンドをやっていて、その縁でデモテープを聴いてもらい企画への出演が決まった。

たしか高円寺20000Vの昼の部で共演はAA撲殺チェンソーロボトミー、地獄まんじゅう、ギチ、ブラッドサースティーブルースリー、といった面子だったと記憶している。

ウチらのバンド名は「ハニーハンター」とY君が名付けた。

テレビで見たドキュメント番組の中でジャングルで蜂(蜂蜜)を採る人達が出てきて、そこから拝借したそうだ。その職種のことをハニーハンターというらしい。

バンド名から女の子バンドと勘違いされることも多かったけど、その辺もあえて面白がったりしていた。

当時の音源はカセットテープに数曲とってあるだけ。

恥ずかしくて披露する気にはなれないけど、この前久々に聴いてみたら何曲かは今聴いてもそんなに悪くないんじゃないか?と思った。

でもY君と連絡が取れない今、勝手にあげるわけにはいかないので自分一人で聴くことにします。(良く聴こえたのは単に懐かしさからだけかもしれない)

※見出し写真は「ハニーハンター」時代の俺。なんだか幼く見えますね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?