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バンドをやりたくて上京。そして性懲りも無く今も続けてる。1990年代〜編⑥(謎のバンド、デスコンピュータース!)

居酒屋で働きながらバンドを続けていた時期、石原くん(元HAWAII5.0.他、のちにサーファーズ オブ ロマンチカに加入〜脱退、現在Lost Frog Productionというレーベルを運営)より「大阪への遠征ライブに行くユニットのメンバーをやらないか?」と誘いを受けた。

相変わらず日々の労働はキツく、中山競馬場の最寄り駅の船橋法典という中途半端な場所(正式にはまだ「上京」してない)の木造アパートで燻っていた俺にとってこれは嬉しい誘いだった。

都心で活動する人達と知り合うにつれて船橋という場所にも物足りなさを感じてきていた。(今考えると悪くない場所なんだけど)

この頃の石原くんは「デスコンピュータース」という謎の架空バンドで音源を作っており、それはごく一部の狭いシーンで話題になっていた。(ギターを弾いたのは俺と後年The Weekenderを組んだりTOTAL PONKOTSU SYSTEMでも一緒になる「きん君」現在The GOD他で活躍中)

デスコンピュータースの代表曲「SATAN ROCK」はサーファーズ オブ ロマンチカのMさんも絶賛していたという。

ノイジーでデーモニッシュ、そしてロウな音質。凶々しいのにちょっと笑ってしまうような雰囲気「アホなティーンエイジャーがメタルに憧れてバンドを組んだものの全くメタルになっていない」そんなイメージが浮かんだ唯一無二の名曲だ。

※ぜひもう一度聴いてみたい。(配信リリースを希望!)

大阪遠征時のデスコンピュータースのメンバーは

Vo.石原君、Gr.きん君、Dr.ジューシー君、Ba.俺、の4人。

ツアーが決まっても待ち曲は少なかったので、あとは海外のマイナーなスカムバンドやハードコアバンドのカバーをやろうということになった。

首謀者の石原くんはメジャーどころのROCKについては本当に驚くほど何も知らなかったけど、わけのわからないバンドについてはとても詳しかった。(最近のLost Frogのリリースはブレイクコアやアニメネタ系統のものが多い。それらについて自分は詳しくはないので語れないが、今も昔も彼の中ではSCUMというキーワードの範疇でずっと繋がっているのかもな?とも思う。※違ってたらごめん)

※Lost Frogには2年程前に宅録作品をリリースしてもらった。https://archive.org/details/lf101mp3

たしかあんまり練習もできなかったような気もするが楽曲うんぬんより「このブレイクのところでぐるぐる回ってくれ」とか妙なステージアクションの指示があったのを覚えている。 

そして「デスコンピュータース」というバンド名にもいわゆる真っ当なバンドに対する彼なりの反発が感じられた。

大阪には一度も行ったことがなかったからのっけから楽しくてしょうがなかった俺。

うれしさのあまり行きの新幹線の中、CDウォークマンでBAD BRAINSを大音量で聴いていたら音漏れしているのを石原君にたしなめられたほどだ。

向こうに着いたら屋台でたこ焼きひとつ買うのも新鮮だった。

ジューシー君と街をぶらぶらしていたところ、たこ焼きの屋台を発見。早速買った時に店のオッさんが「うちのたこ焼きは表面がカリッっと固くてうまいで」というようなことを話してくる。

そしてその後にすかさず「固い言うてもめちゃめちゃ固ないで〜」と被せてくる。

千葉の田舎で育ち上京してまだ数年しか経っていない頃であり、関西ノリにも免疫が無かったのでこんな些細なやりとりも新鮮で笑えてしまった。

ライブの場所は難波ベアーズ。店長の山本さんがボアダムスのメンバーだったこともあり、大ファンの俺は本人を目の前にして緊張した。(びびって話しかけられなかった)

正直ライブの出来はあまり覚えていないけど観ていた人達には暖かく迎えられた印象だった。

さすが日本から世界に向けてLo-Fi 、Scumな人達を数多く輩出した土壌なだけあって、俺らみたいなバンドに対しても寛容だと思った。

その後も大阪には他のバンドのツアーでついていったり、のちに結成したバンドでライブしに行ったりするんだけど毎回楽しい。

大阪はいざ住んだらいろいろとハードな面もありそうだけど、なんとなくノリが合う気がする。

当時は旅なれていなかったものだから、ツアー先にわざわざパジャマの上下も持参していって泊めてもらった先でみんなに笑われたものだ。

あとは俺のツアー時の格好が何故か「素肌にジャージ姿」だったのでそれも変にウケてしまった。

その珍妙なファッションに、当時関西スカムシーンで有名だった某バンド(というかユニット)の女の子が話しかけてきてくれたりした。

「俺、大阪にいた方がモテるかも??」と一瞬勘違いしそうになった。

ちなみに別にウケを狙ったわけではなくて当時の自分なりのオシャレのつもりだったんだけど。

この思い出ももう25年以上前のことなのに、つい一昨年くらいの気がする。

こうして高校生の頃のバンドブーム〜パンクロックから始まり〜ハードコア〜オルタナティブなシーン〜少しだけクラブミュージック〜またパンクに戻る〜現在のレゲエ、ダブに。と様々な遍歴を経ていく。

良くも悪くもひとつのジャンルをがっつり掘り下げて続けるということができないのです。 

※見出しの写真は大阪ツアー時のもの。ランニング中のおじいちゃんみたいな色のジャージだな。

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こちらは同時期にやっていたミミックマンのライブ写真。ジャンプがキマったぜ!



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