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バンドをやりたくて上京。そして性懲りも無く今も続けてる。1990年代〜編⑤(ミミックマン時代)

居酒屋の仕事では大量のモツ煮を仕込んだり、串焼きの煙にまみれたりして、やさぐれながらも新バンドの練習を重ねていた。

働き始めてから一年位で焼き台に立つことも任せられたが、店側は排煙設備が整っていないのに見栄を張り本格派を気取って炭火を使い出したりしたものだから、毎回ものすごい煙が店内に充満した。

コンタクトレンズは黄色くなり何回も目が炎症を起こした。仕方ないので眼鏡をかけて仕事をしても眼鏡のレンズもすぐ黄色くなった。

それまでタバコを吸っていたけど毎日不自然に大量の煙を吸っていたせいか、急にタバコも嫌いになってしまった。

カウンターでは毎回焼き方に文句をつけてくるくせに毎日のようにくるオヤジとか、毎回串焼きだけ(他のツマミは何も頼まず)何十本も食べていく巨大なアフロのおっさんとか、ホッピーの中身をおかわりするとき必ず「大盛りでね〜エヘヘ」とか言ってくるじいさんとか、その他船橋の居酒屋ならではの出来上がったおっさん達の相手に閉口しながら串焼きを焼きまくっていた。

忙しい時は頭の中に爆音でテクノを流して「俺は本当はDJなんだ」と妄想しながら動くと素早く動けた。

同じ調理でも厨房の中での仕事のほうがバイトのみんなと下ネタでも喋りながら気楽に働けるのだけど、店長に嫌われていたせいか一番つらい焼き台での仕事に指名されることが多かった。

この店長はクソ忙しい仕込みの真っ只中にわざと休憩所で競馬中継を見たりと、そんな小さなイキがりでワルいオヤジを気取っている本当にポーザー(スラッシュメタル用語)でくだらない人物だった。

ある日我慢の限界が来たので「なんかいつも俺ばっかり焼き台じゃないですか!?」と店長に文句を言ったら案の定むくれやがったのだが、その時いつもはちゃらんぽらんな同僚のA君が「池ピー(当時のあだ名)今日は俺がやるよ!」と言ってくれたのはとてもうれしかったので今でも覚えている。

それはさておき新バンド「ミミックマン」は練習だけはやたらとしていた。

居酒屋の勤務が終わった後、終電近くで当時練習していた代々木まで行き、朝まで練習して始発で帰ってお昼くらいまで寝てまた出勤、なんてことも若かったからか平気だった。

メンバーの中でもドラマーのJ君はとてもオリジナリティにこだわる人だった。

練習中のある日に俺が「ここは〇〇っぽく」とある海外のバンドを例に出して説明したところ「そんな風にさぁ、〇〇っぽくとか言わないでよ。それ聞いただけでやる気しなくなるんだよ!」と言われてしまい、その時はムッとしたもののJ君のこの言葉は心に響いたので今でも創作の際に大事にしています。

ミミックマンはまだ高円寺のパル商店街の中にあった旧20000Vや、その上の階にあったGEARでライブを重ねていく。

旧20000Vの店長だったKIRIHITOの早川さんにはとてもお世話になった。

20000Vでは数多くのカッコいいバンドを観ることができたし、早川さんはステージでの鬼の様な姿とは裏腹に普段はとても話しやすかった。それに甘えて俺は酔っ払ってはグダグダとくだらない話を投げかけていた。

もし逆の立場だったらそんなわけのわからないヤツには怒るか素っ気なくしてしまいそうだ。

昔を振り返るとバカなことや失礼なことをやっていても周りの人に優しくしてもらっていたからどうにかなっていたんだなと思う。

ミミックマン時代に何を思ったかワシントンD.C.の有名なレーベル「Discord」にデモテープを送ったことがある。

Discordは基本的にD.C.近辺のバンドしかリリースしないことは知らなかった。

当然リリースには漕ぎ着けなかったけど、スタッフから感想と丁寧なお断りの手紙がきて感動した。いまでもそのハガキは大切に取ってある。

ミミックマンの音楽性はなんて言ったらいいのか、ボアダムスやサーファーズオブロマンチカの影響が大だったことは確かだけれど、まんま真似はしたくなかった。D.M.B.Q.やギターウルフ、海外ではジョンスペンサー&ブルースエクスプロージョンとかの無茶苦茶さにもやられていた。

モンドミュージックにも詳しい上、モーターヘッドの様なワイルドな音楽も好きなMT君のボーカル、楽器初心者ならではの感覚を入れてくるIT君、前のバンドから一緒で全般にセンスを信頼できるY君、なんだかんだでパンク的なノリを入れたい俺、そしてモノマネが大嫌いなJ君。

今思うとコツコツと続けていれば良くなっていったバンドだった気がする。

単独音源も残していなくて、後にオムニバスかなにかに参加していたような気もするけどはっきりとは覚えていない。家に練習テープはとってあるものの、連絡のつかないメンバーがいるので気軽にアップする気にもなれない。

この前久々に聴いてみたらなかなか良かった。

そういえばミミックマンの曲を居酒屋の副店長(矢沢永吉さん好き)に聞かせたことがある。

意外にも好評で「これだよ!俺がロックに求めてるのはこういう感じなんだよ〜」とか言ってくれた笑

だが、何事も地道にやることができない俺は自分が中心になって結成したこのバンドも抜けてしまう。

しかもそういうことを後々のバンドでも何回か繰り返してしまうのであった、、。  

※見出しの写真は当時、高円寺の北口にあったバンド関係者御用達の居酒屋「あかちょうちん」にて。

ここはひたすら安くて良かった。(天井裏をネズミが走り回っていたりしたけど、、)みんなに愛されていた店だった様で、今ネットで検索したらいろんな人がブログや書籍でお店のことを書いていました。

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