上京してバンドを組むまで。1990年代④(深夜の工場編)

お世話になった西船橋の親戚の家を出てアパートを借りることができた。

場所は中山競馬場の近く。

申し訳ないが競馬ファンでもない俺にとってはあまりピンとこない町だった。(が、思い起こしてみると近くには個人商店のパン屋や書店があったり立ち飲みできる焼き鳥屋があったりした。悪くない町じゃないか)

そして借りたアパートの名前が奮っていたんだ。

槍田荘(やりたそう)。

当時まだ童貞だった俺は友達に「ヤリたそう!?お前にぴったりじゃん!ギャハハ笑」とか言われてしまった。

そして大家の槍田さんは蛭子能収さんにそっくりで口臭がひどかった。

一人暮らしをしたすぐ後に塗装屋は辞めてしまったので、船橋にあった某工場でテレビのブラウン管を梱包する深夜バイトを始めるのだけれど、これがまた最初からなんともいえないスタートだった。

確かバイト初日か2日目に大型ブラウン管を持ったまますっ転んでしまい、いきなり右手の親指を縫う大けがを負う。

普通、初日からそんなことがあったらすぐ辞めると思うけど、金も無かったしまた新しくバイトを探すのが面倒くさかったので辞めなかった。

そんなことで入ってすぐに怪我はしたものの、一週間ほどの休業補償(日当の半額扱いだったが)が出たのをいいことに、まだ抜糸も済まないうちから飲みに行ってしまう当時の俺、、。

その時の馬鹿な行動のせいか後々まで影響したことがある。

酒のせいで治りも遅く傷口が変な状態でくっついてしまったのか、指のその部分にしこりが出来てしまい、押したりぶつけたりするとかなり痛いという状態が何年か続いた。

俺がチョッパーベースを弾くことに積極的になれなかったのはこのことが多少影響している。

この時、怪我をしなかったらのちに組むバンドの音楽性が変わっていたかも?

最初からはた迷惑なことをぶちかましてしまい顔が知られたので、工場に復帰した時にはかえって早く周りと打ち解けられた。

深夜のシフトの責任者は「いましろたかし先生」の漫画「トコトコ節」に出てくるアイス販売店の社長そっくり。そして俺と同じ苗字だったので復帰早々「ジュニア」というあだ名をつけられてしまった。(昔からあだ名をつけられやすいタイプです)

この責任者は出社してほんの数時間見回りをしたら、後はほとんどの時間を寝て過ごしているというなかなかヤバいおっさんだった。

深夜の工場も個性派揃いの顔ぶれで話してみるとバンドをやっている人も何人かいることがわかった。

休憩中にいきなり奇声を上げながら工場の壁を蹴り破ったスラッシュメタル好きのNさん。(この人は窓からテレビを投げたことで家を追い出されウチに何日か泊まって行くが、ある日フォアローゼスを一本置き土産にして突然姿をくらました)

当時まだ20代後半だったと思うが、妙に老け込んでいたYさんはThe Who等のブリティッシュロックが好きだった。(風俗もだいぶ好きみたいだった)

30代前半くらいで見た目は普通のお兄さんだが、話しているうちに過去のドラッグ体験も飛び出してきて、バンドをやっている人達からも一目置かれていたTさん。

あと顔は覚えてるけど名前が思い出せない作曲家志望のお兄さんもいたな。この人はいつも譜面のメモを持ち歩いていて、休み時間はそれを見ているだけでも曲が浮かぶとのことだった。

ここの工場で出た弁当のマズさも覚えている。当時いつも腹を空かしていた18歳の俺が食べてもマズいと思ったから相当なものだったのだろう。

冬場は寒さもひどくて、梱包用の薄い発泡スチロールをガムテープで足に巻き付けて体温を保ちながら作業したりした。

同僚で音楽をやっている人達とは今ひとつ音楽性が合わなかったのでまだバンド結成には至らない。

当時の俺はいわゆる日本のパンク以外にもいろいろと聴いてみたくてボアダムスを観に深夜のクラブチッタ川崎まで行ったり、代々木公園のフリーライブのボ・ガンボスを観て興奮し木に登ろうとして警備員に注意されたりと、田舎を出た甲斐があったライブ体験も重ねていた。(記憶が少しずれているかもしれないけど確かこの辺りの年の出来事だ)

red hot chili peppersを聴いてみたのもこの頃で他には当時人気のあったJesus Jonesや stone rosesといったロック系とクラブ系がリンクした音や、割礼という国内のサイケデリックバンドにもハマっていた。

数年前、その頃のノートの走り書きみたいなものが出てきたことがあってそこには、、、

「パンクにしばられない音楽性。モッシュ、バカ踊りなど」というメモ書きが記されていた。(バカ踊りって、、、)

深夜の工場の労働はキツくて昼間に寝てもなかなか疲れが取れない。そのうち朝まで仕事して帰ってきたら、劇画系の漫画雑誌を読みながらあとはワンカップを煽って眠るだけ。というティーンエイジャーらしからぬ感じになってきてしまった。

なんかこの流れは良くないなぁ、、と思っているところに高校の時に一緒にバンドをやっていたA君がウチに居候してくることに。 

「これはちょっと楽しそうだぞ!」

最初はワクワクした。

このA君が後にいろいろとやらかしてくれたりもするのだが。

当時は腹も立ったけど今では楽しい思い出だ。




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