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上京してバンドを組むまで。1990年代⑦(少し垢抜けたつもりなのか?)

今思うとマヌケなことばっかり繰り返していた十代最後の年に革命的な出来事が起きた。  

それは初めてきちんとした彼女ができたこと。

その女性Oさんは音楽が好きな上、最先端のパンク、ハードコア情報にもやたらと詳しくてNUKEY PIKESの音源(バツグンのカッコ良さ!)を聴かせてくれたりした。

本八幡ROUTE14というライブハウスにツアーに来ていたgarlic boysを観に行って、一人でバカみたいにモッシュしまくっていた俺にOさんが興味を持って話しかけてくれたのがきっかけだった。

彼女ができるということはこうまで世界が広がることなのか?(チェリーボーイも卒業)

いままでの自分はなんだったんだ?と思った。

ペンキ屋でおっさんからコクのありすぎるエロ話を聞かされたり、深夜の工場で不味い弁当を食べながら寒さに震えていたほんの数ヶ月前のことが嘘のようだ。

勢いに乗ってちょうどこの頃またもやバイトを変える。

某大手広告代理店が出している求人雑誌の記事を作る制作の仕事(コピーライター見習いのような業務)になぜか受かってしまったのだ。(この時も当たり前のように私服で面接に行ったのに)

休みも土日休みとなり、生活もほんの少しマシになりライブに行きまくるようになる。

この頃のNUKEY PIKESのライブは平日だろうが追っかけのように毎回観に行っていたし、BEYONSも良く観に行っていた。(知ってる人がいるかわからないけど、ヌルピョン+BEYONSという謎なユニットのライブもあったな笑)

そしてかなりの衝撃だったのはサーファーズオブロマンチカだ!(のちにメンバーの何人かと友達になったりするから世の中は何が起こるかわからない)

サーファーズオブロマンチカとボアダムスには「型にハマることなんかない」という自由さを教えてもらった。(しかしカッコいいデタラメほど難しいものは無い。それはしっかりとした音楽的素養やめちゃくちゃ厳しい練習の上に成り立っていたことを後に知る)

なんというか俺的にこの年は文明開花だった。

ファッションにもだいぶ変化が見られる笑↓

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はっきり言って田舎にいた頃の高校生活は俺にとって暗黒時代だった。

卒業してすぐにアルバムも捨てた。

ガムテープでぐるぐる巻にして。

特にいじめられたりしていたわけではない。友達もそれなりに居た。幼馴染とはバンドも組んだりもした。

でもなぜか何をしても心の底から楽しいと感じたたことが少なかった。

あの年頃特有の周りのツッパリ方にもハマれなかった。

その頃からよく家で一人でビールを飲んだ。うちの親父は下戸だったので頂き物の酒が飲まれないまま置いてあったりしたし、当時は簡単に自販機でも買えたから。(なんなら学校帰りに飲みながら帰ったりしていた)

酒を飲むのも「飲み会だ!コンパだ!ワーイ!」みたいな感じではなくて、まるでシンナーで現実逃避するかの様にひっそりと飲んでいた。(シンナーも手に入る環境はあったけど怖くて手を出さなかった)

30代に本格的にアル中になってしまう下地はすでにこの頃からあった気がする。

「高校を卒業したら青春も終わり」「だから今を楽しもうぜ」みたいな期間限定のつまらないノリはまっぴらごめんだ。

人生にどうしてそういう区切りをつけなきゃならないのか意味がわからなかった。(正直、今でもわからない)

それはそうと、Oさんから友達の輪も広がってみんなでつるんでライブに行くのは楽しくてしょうがなくて、まさにそれは「少し遅れてきた青春」そのもの。

「田舎を出て良かった!」と心底思った。

Oさんはビョークに女芸人を足したような可愛らしくてユーモア溢れる素晴らしい女性だった。(冗談のひとつも言わないようなタイプの女性とは付き合ったことがない)

Oさんに紹介してもらった友達のY君と上京してから初のバンドを組むことになるのだけれど、この頃は解き放たれたように遊び惚けていていつのまにかバンド結成のことは後回しにしていた。

※見出しの写真は古着でキメて精一杯イキがっている姿。(が、前髪が「たこ八郎」みたいだ...)




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