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好きなものは美しいもの

こんにちは。
ここしばらくビレッジサマーパーティーにはしゃいでおりましたが、書きかけておりました講演会のこともそろそろ書き終えたい。
頭を切り替えて、まいります。

改めまして。
先日、あきやさんの講演会2回目を視聴しました。
2024年の2回目である今回は、センスの話がしっかり長めで、そこから実践的な話へと繋がっていく。
センスには先天的なものも後天的なものもあるけれど、後天的なものは磨ける。
磨くための積み重ねが練習。
たくさん練習してベストコーディネートを決めましょう。ベストコーディネートが決まったら、着てでかけましょう。
お出かけして、記念撮影をしてみましょう。撮れたら教えてね、がカフェのワーク。
書き始めようとしている段階の印象は、こんなかんじです。

お話しの中で、あきやさんが″センスあるぅ~🌠″と感じるおともだち例をあげてくださいます。
身近なシチュエーションももちろん、皆様が積み重ねてきた練習の説明をくださったのがとてもわかりやすかったです。
今回は、あの中であえて選ぶなら私はAちゃんさんに近いのかしらとよぎった、自分語り。

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私は0から1を作ることが得意や好きな側、ではない。
これは結構前から自覚していたことで、1年くらい前(まだあきやさんにお会いする予定なんて全く立っていなかった、地表に頭を出す予定のないもぐらさんだった頃)にコンセプトを考えたときにも、書いています。

比較的書き起こしやすいところから始めますと、中学生の頃は美術部にいました。
仲良しも、そうでもない人もいたけれどそれなりに過ごす中で、絵を描くなら風景や草花がすき。いわゆる自由にイラストを書きましょうという創作にはあまり心踊らないことを知りました。
チューリップの花壇を眺めながら花びらの色や質感の再現を考えていて画用紙に色をのせるまでに何日もかかったり。
海を水色や青1色でベタ塗りしたくないけれどあれは何色を混ぜたらいいの?どうすれば波が揺れる? そもそも水彩絵の具で描けるのかと先生に聞いて「僕なら、そうだなぁ」と一緒に考えてもらったこともある。
部活ではありませんが、好きな作品をプリントの枠内に模写して、好きなポイントと書いてみた感想を一言と添える。という授業が楽しかったことを覚えています。
作品が見つけられないのですが青空と夕空が対になった作品の夕空を選んだように記憶しています。
オレンジからブラウン、チャコールグレー?へと繋がるグラデーションだったのかな。色鉛筆でグリグリ塗りました。
後で先生が一冊にまとめていたのを開く機会がありましたがエル・グレコやカラヴァッジオの受胎告知、ムンクの叫びやモナリザ、ナポレオン等肖像画あたりに何人も挑戦していて、人気なんだなと素直に受け止めた記憶。 

美術部に限ったことではありませんが、イラストを書く人は同級生にも一定数いて、中でもゲームやアニメのキャラクターを書くのが好きな方もお気に入りのビジュアル系バンドの方をキャラクターのようにデフォルメするのが好きな方もいました。そういうこが集まっているグループがあって、一応そのグループのはしっこにいると周りからは認識されていた気がします。
どちらかというと漫画も読む方が好きでしたが授業中にこっそり書くお手紙のはしっこにはらくがき程度はみようみまねで書いたし交換ノートとかね、やってました。(そういえば交換ノート? 日記? っていくつくらいの方まで伝わるのでしょうか。若いこはきっとスマホで完結できちゃいますよね)
でも絵描きさんたちとの交換ノートは途中からイラストを最低でも2つと指定がついたりして、途中から少し疲れていた気がします。
私は漫画もアニメもそれなりに好きだけど、″物語″も好きなので本も読みたい。どちらかというと放課後は自分で絵を描くよりも文庫本を読んでいる時間の方が長かった。
これはお稽古ごととしてピアノとお習字を習っていたので多少は練習もするしお教室へも行く。バスや電車の中では本は読めてもノートと鉛筆を広げて絵を描くことは難しいという環境も繋がっていそうです。
母もモノづくりが好きで、特に縫い物が好きだったので子どもの頃から布と針は身近にあって、巾着やポーチ、ペンケースのような簡単なものは自分で好きに作っていました。
スマホどころかケータイもインターネットも普及する前の中学生、自由時間のほとんどを漫画やアニメを見るか、絵を描いているかの2択で過ごしている人たちとは、圧倒的にそれまで絵を描くことに費やしてきた/これからも費やそうとしている時間や、うまくなりたいという情熱も少ない。
絵を描くこと、に対して同じ熱量を持っていないことを肌で感じていたのでした。
私がなんの制約もなく時間が空いたときに自分から書いていたのは、雑誌や漫画でみたかわいい気になるお洋服を好きに組み合わせてみたり、すこしアレンジを加えてみたりという、ある意味デザイン画のようなトルソーのようなものでした。
友人たちからは「何で顔を書かないの?これは誰なの?」と度々言われていたけれど、誰でもなかった。お人形にお洋服を着せて遊ぶ感覚に近かった気がしています。
お人形遊びはそこにある服しか着せられないけど、紙の上なら新しいお洋服を着せてあげられる。

高校生は書道部。
同じ中学から進んだ友人のひとりは美術部に入って存分に謳歌しておいででした。
基本は紙の白と墨の黒。厳密には紙も墨も選べるのでいくらでも色を感じることはできる奥深い世界ですが美術部ほど一気に色に襲われることのない生活。
そして書道は美術に比べて模写に触れる割合が大きいのも私が過ごしやすかった理由のひとつだと思っています。
創作と臨書だと明らかに臨書が好き。たいしてうまくはないし、何が得意と言えるほど極めてもいないけれど。
自由度の高い書作展では好きな作家さんのお気に入りの詩や当時好きだった歌の歌詞を書いたりもしました。
印を彫るのも好きだったので、新入部員分の印を彫ったり、気が向いてはサイズの違う石で彫ったり。
面白がって紙を鋤いてみたりもしたし、文化祭前には部員総出でジャージで表装をしますがあれもある意味紙とのりで全力で遊ぶ感覚。並べてみると手作り感に溢れた部活ですね。結構自由にさせてもらいました。
書くにしろ彫るにしろ基本をおさえながらアレンジをするくらいのことは、好きなのだと思います。
そして作る人のことが好き。尊敬といったほうがいいかもしれない。まぶしい世界の住人たち。
近年のことはいまいちわからないのですが、私が過ごした書道部の揮毫大会というのは学生たちだけ体育館の中に集い、制限時間内に作品を作成、提出するスタイルでした。
交流の機会はそうそうないので普段出会うことの少ない他校生ではあるけれど、同じ(世の中からするとマイナーな)「書道部」を選んだ同年代の皆様が一同に会す。ひとつの作品が出来上がる瞬間に立ち会える機会。
私はその場にいることが楽しくて、参加した2回(文化部の大会は秋なので3年時は不参加)とも自分の作品作りもほどほどに使い捨てカメラを手に場内を走り回っていました。
部員同士で相談する声もひっそり。紙と筆がすれる音、筆に墨を含ませる音も墨の濃淡によって違う。ひとつひとつはささやかな音の重なった不思議な空間。
いたるところに乾きかけた作品が広げてあったりもする狭い通路を気を付けて歩き、ゼッケンも何もないので高校名も書いておいでの方のお名前もしらないままに気になる作品を見つけては「こんにちは、撮っても良いですか?」とお声がけして、ぱしゃり。
後日結果発表後に、私が現像していた写真をみて顧問が笑う程度に入賞作品をひととおりさらっていた年もありました。
だって美しいものは美しい。素敵なものは視界の中で光る。目にしただけでわくわくする。私は見つけた光に向かって歩いていただけです。
この感覚は私の根っこの部分にあるもの。

だから、Aちゃんさんのお話しにちょっと、嬉しくなりました(やっとたどり着きました)。

ハイブランドだから素晴らしい、ではなくて素敵なものがたくさんの方から選ばれた結果、ハイブランドになっている。
ところで素敵だなぁと思うものにひかれていった先の、アイテムには必ずどこかのブランドタグがついていることはわかっているけれど、ついつい気になったアイテムの好きなポイントで記憶してしまいがちなので私の頭にはブランド名が頭に残りにくいです。
これはファッションに限らず″名前が覚えられない″でもあって、おしゃれさんたちとの会話だとブランド名や名品のシリーズ名についていけなかったり、舞台沼の友人たちとの話だと若手俳優さんの名前(愛称で呼ばれると特に)ついていけなくて、後で調べてみると知っている、チェックリストには入っている。インスタフォローしてる、みたいなこともよくあります。
俳優さんはね、私は私が出会った舞台上の役名で覚えるので、「○○の時のA」と「△△のときのB」が繋がるまで少し時間がかかる。といえば伝わりますでしょうか。
舞台によっては扮装ですし、人によっては発声の仕方から変えてくださったりするから……雑誌のインタビューやバラエティで見る素顔とも、前回とのギャップも大きくて回路が繋がらないの。
最近は環境が許されれば、会話をききながら気になることは都度調べるようにしていますが、お話しの展開が早いと間に合わなくてやっぱり後から調べることになりがち。
ファッションブランドは似たような名前も多いし、聞き間違えて全く違うサイトで延々と載っていないアイテムを探してしまうこともある。
ブランドもそれこそ定番と尖ったものがあると頭に刻まれているから、最初の1ページで見当たらなくてもどこかにあるのかなとスクロールし続けてしまいます。
おかげで新しく気になるアイテムに出会えることもあるから全く無駄ではないのですけれど、時間は溶けます。
せっかくなので妄想クローゼットにいれるアイテムの名前くらいは、正確に覚えたいです。

ということで。
私は私のことをセンスがあるとは今のところ思っていないけれど、全くないわけでもないと思っている。
私なりに試着も失敗も、試行錯誤もある程度してきた自覚はあるからです。
でもまだ試したことのないことに出会っては、やってみたいと思う。好奇心が尽きないから、今ここにいる。
もしかしたら先天的なセンスも持っていたのかもしれないけれど、気付いていないので。少なくとも後天的なセンスは磨き続けていきたいです。

このまま練習を積み重ねていったら、いつかは「あら、私ってセンスあるんじゃない?」とたまの軽口くらいは言えるようになるかしら。
言えるようになったら、また少しみえてくる景色も変わりそうですね。
そんな世界線があったら、その瞬間を楽しみたいと思います。

さてそろそろおしまいに向かいましょう。
せっかくなので9月までにカフェのワークもやりたいです。
地元でもうそうそしておりますが、旅行も食べることも好きなので、いつかとチェックだけしているお店は地元に限らずたくさんありますので、いろいろ妄想してどこへ行こうか考えようと思います。

そして今回思い起こしていて、印を彫るのは好きですが″押す機会がないので″控えていたことを思い出しました。
もしかして自問自答用に名刺を作るとしたら、おしてもいいかしら。久しぶりにつくってもいいかしらとよぎったので、ちょっと石やらなにやらひっぱりだしてこようかな(また部屋が片付きませんよ)。

最後になりましたが、今回″練習″という言葉に改めてあきやさんの優しさを感じました。
今からできる、いつから始めたっていい。が伝わりやすそうな言葉だなって。
やりたいと思ったときに、無理のない範囲で始めましょ。
きっと練習の目的も方法もそれぞれだと思うから、皆様の練習のお話しを読ませていただくのも、楽しみにしています。
ではでは、あれやこれやといつもどおり脱線しましたがここまでお読み進めくださりありがとうございます。
また練習の成果が形になったら、報告にこさせてくださいね。
よろしくおねがいいたします。

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