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自己治療ってうまくいかないものさ

自己治療としてのアディクション(依存症)……というのはよく知られるようになっていますね。
 
アディクション問題を抱えている方々の多くが背景に何らかの「生きづらさ」を抱えていて、ソレは被虐待経験やマルトリートメントや犯罪被害などによるPTSDだったり、何らかの身体疾患や障害だったり、発達障害を含めた精神科関連疾患だったり……というのがあたりまえと認識されるようになっています。
 
アディクションは、そういった語られない「生きづらさ」や「うまくいかなさ」「辛さ、しんどさ」からの自己治療的コーピングとして学習され習慣化されたもの(自己治療の失敗)です。
 
極論を言えば全ての症状や問題行動は自己治療的対応であり、そこにはパラドキシカルな対象希求と援助希求があるわけです。
 
アディクションからの回復プロセスのなかで、背景にある問題が再演されたり再燃されたりしていきますが、これがいわゆるスリップ(再飲酒や再使用など)のトリガー(引き金やきっかけ)にもなってしまう(フラッシュバックとしてのスリップ、アナフィラキシーショックとしてのスリップ)ことがあります。
 
アディクションの問題は確かに自己治療的側面がありますが、それは初期の頃のみで、次第にひとり歩き(暴走)してコントロールを失っていったものをアディクションと言いますので、対応や治療の順番を間違えてはいけないのです。
 
背景にある(もとにある問題)うつ病やPTSDや何らかの障害を治療すれば、自己治療の失敗としてのアディクションは必要なくなる……という考えのもと、うつ病やPTSDなどの治療を先にしていくことがありますが、それでアディクション問題が消失することはほとんどありません。
 
アディクション治療におけるトラウマ治療やうつ病治療などは重要ですが、残念ながらトラウマやうつ病の治療をしたからといってアディクションの問題がなくなりはしないんだね。
 
アディクションは重複障害であり、重ね着症候群の上着やコートにあたりますので、コートや上着を着たまま下着を脱ぐような手品をしようとするのではなく、コートや上着(要らなくなったもの)から脱いでいく……のが定石ね(とはいえ、そう簡単にはいかないんだけどね)
 
アディクションは目的と手段が入れ替わり優先順位が狂ってしまう病ですが、実は関わる人々の判断や対応も容易に狂わせていく(正気を失わせる)ので、問題行動をやめさせることにとらわれてしまうと逆に問題行動を増長させてしまいます。
 
アディクトが表出する、天才的とも言える多種多様な病的言動にいかに巻き込まれず正気を保っておくか……が家族を含め関わる側にとって重要な課題となるのです。
 
これを「いちいち病気の相手をしない」と言います(^_^;)
 
……が、私たちは慣れ親しんだやり方を手放していくのはなかなか難しいのですよ(^_^;)
 
はい、ウチにおいでよ(^o^)

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