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びょーきのこととか。

最近、Twitterでフォローしてくれる人に、脊髄性筋萎縮症(SMA)つながりの人が増えた。

わたしもだけど、プロフィールに「脊髄性筋萎縮症(SMA)です」って書いてあると、「\(* ¨̮*)/\(*¨̮ *)/ナカーマ♡」と思う。
そしてフォローする。される。ありがとう😊

ふと、自分のツイートを遡ったとき、出てくるのはソフトクリームのことだとか、自分のおセンチメンタル具合とか、そんなことばっかりで。
「わたし…自分のSMAのこと書いてない…ね…?」と気づいた。


気づいたら、書こう。
大した苦労もしていないけど、いままで脊髄性筋萎縮症(SMA)と歩んだわたしの歴史を。

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まずは、現状を。
《年齢》
42歳
《家族》
夫(SMA。詳しくはこちら)、夫の両親
《車いす》
電動車いす(これ)使用
《身長》
頭先から足先までメジャーあてて測って160cmくらい。アームスパンは170cm。
《体重》
ふとっちょでも痩せでもない。要介助者としてはなかなかの体格。悲しみ。
体重は長いこと大きな増減はないけど、肉のつきどころがね…ほれ、中年ぶとr(以下略)
《呼吸状態》
睡眠時に呼吸器を使うかどうかの瀬戸際。低酸素というよりは、二酸化炭素が高め。
《体の動き》
・食事は自力。食べ始めるまでのセッティングと、食べ終えたあとのお片付けは全介助。
・旦那さんの食事介助などは、環境が整えば可能。
・歯磨き、お化粧、コンタクトの着脱などは自力。
・お風呂、トイレ、着替え、ベッド⇔車いす間の移乗は全介助。
・側湾あり。ちょっと左側の背中がぼこんとしていて、左のおしりに体重が偏っているので、首も肩も背中も腰も、左の方が凝り固まっている。足も左の方がむくむ。
《治療》
無治療。スピンラザは打つ予定なし。せっかくの治療薬は若い子たちに使ってほしいじゃん?(と言えばかっこいいけど、痛そうだし定期的に入院しなきゃいけないのが嫌💦笑)
飲み薬が承認されたら、若い子たちが終わっておこぼれがあったら飲みたいかもしれない。


こんなところでしょうか…。

**

ここから先は、SMA発覚の経緯や、進行のタイミングなどを振り返ります。
長くなるよ…ほんと文章をキリッとまとめられなくて申し訳ない。
お時間があって「どれ、読んであげましょうかね」と思ってくださる方がいましたら、どうぞよろしくお願いします🙇‍♂️

*
1978年秋に誕生。
4000g近くて、ほかの新生児よりひとまわりでかくて、取り違えられたらどうしよう…という若き母の心配が杞憂に終わる赤ちゃんだった(母談)


2歳ころ。
おしゃべり(これはうるさいくらいだった笑)と体の大きさ的には問題ないのに、待てど暮らせど歩かないわたしを、大人たちもさすがに変だと思い、いろんなところに検査に行く。
最終的に札幌医大病院で筋生検(筋肉の一部を採取して調べる検査。麻酔していたはずだし、記憶もないはずなのに、なんとなく痛かった記憶…)をして、「脊髄性筋萎縮症です」と診断される。
「この病気の専門病院が道南にありますので、そちらに行くといいと思いますよ」と言われた(んだと思う)。


4歳8ヶ月。
善は急げ的な勢いで、その専門病院に入院。
そこから井の中の蛙ライフを送る。

物心ついたときには、すたすたとは行かないけど、どうにかこうにか歩いていた。
けど、けっこうしんどいし、1回転ぶと自力では立ち上がれないし、病院ではまわりに車いすに乗っている人が多くて、「あぁ、座ってていいなぁ…わたしも早く乗りたいなぁ」なんて思っていた。
とんでもないと思うけど、これはもうしょうがない。本心だった。


風邪をひいたり、ちょっとラクをしたりしているうちに、歩けなくなったのは小学3年の頃。
念願の(笑)車いすライフだったけど、思ったよりスイスイ漕げなくて、「え、思ってたんと違う…しんどい💦と思って、しんどいアピールをして押してもらうことにがんばっていた。
がんばるとこ違うんじゃない?という声は聞こえません。笑

歩けなくなっても、補装具をつけて歩くリハビリはしていて、それはちょっと楽しかった。
夏休みとか、ちょっと長い期間自宅に帰省できるときも、補装具を持って家に帰って、家で母とリハビリをした。
補装具をつけて歩いて、台所で洗い物をするのが好きだったなぁ。

…あれ、書いていて気づいたけど、いつ補装具のリハビリをやめたんだっけ…思い出せない。
とにかく、そのあとは高校卒業まで、世間一般が想像する自走式タイプの車いすを使って過ごした。

家族は、歩いているときは「車いすに乗らないようにがんばって歩きなさい」自走式の車いすに乗っているときは「電動車いすにならないようにがんばって漕ぎなさい」と言った。

これは、家族が鬼なわけでも何でもなくて、“少しでもいい状態でいてほしい”という、家族だからこその願いから出た言葉だったと思う。
わたしが家族の立場でも、きっと同じことを言うだろうなと思うし。
でも、しんどかったー!!笑


成人してから、ついに電動車いすに乗ることにした。
これはね、すごい変化だった。
やっぱりね、自分の意思で行きたいところにすいすいっと行けるっていうのは、とてもいい。

たとえば、買い物に行っても、自走式を人に押してもらっていると「あ、あれ見たい…な…」と思いながら、気づいたらそれがわたしの後方にあることがよくあって、むむぅ…( ´•ε•` )となっていた。
いや、言えばいいんだけどね、そこがなかなかね…
そんなわたしの「むむぅ…( ´•ε•` )」が、電動車いすになってからは皆無に等しい。

運転は未だに危なっかしいけど、いまのところ無事故でおります。
乗り始めた頃、まわりの人たちに「よけてぇー!危ないからよけてぇー!!」って言いながら練習していたこともいい思い出…笑

**
以上が、わたしと脊髄性筋萎縮症(SMA)の歴史です。

ここで終わりではなくて、これからもずっと続いていく歴史。
進行性の疾患だから、体の状態も少しずつ変化していくし、装備(呼吸器とか)も増えていくと思う。

正直不安だし、いい状態の自分にしがみつきたい気持ちが大きいけど、幸いSMAの進行の度合いは緩やかで、受容する時間はしっかりある。

それに、わたしのそばには、同じ疾患の夫がついている。
しかも、夫は数々の山場(身体的な面での。たとえば数え切れない回数の肺炎とか、気管切開をギリギリ回避できた呼吸不全とか)をくぐり抜けてきている。
心強い…ヘタレでビビりな妻でごめんよ。


昔と比べて、SMAの注目度がぐんと高まっているように感じる。
いろいろな研究がされているし、治療薬もどんどん出ているし(高価だけど…保険適用ありがとうございます🙇💕)、未来は明るいね。


注目度が高まっている ということは、それだけわたしたちの暮らしぶりも広く知られる ということにもなるわけで。
変な生き方はできないな…って思うよね。
身が引き締まる思いだ…お肉はたるんたるんだけど。むむぅ…( ´•ε•` )

という、締まらない感じで今回のnoteは終了とします!笑


追伸
今回のnoteのヘッダーは、姪っ子(6歳)が描いてくれた夫とわたし。
よく特徴をとらえている…そしてかわいい。尊い♡



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