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12月2日に馳せる思い。

今回は【めぐ】という女性のお話をします。

とても長いnoteになりますが、お付き合いいただけると幸いです☺️


【めぐ】は、わたしが八雲の病院にいた頃のルームメイト。
わたしより2歳年上のめぐとは、わたしが入院した4歳当時から退院まで、ほとんど同じ部屋でした。
わたしの人生の現時点で、同じ空間で過ごした時間がいちばん長い人です。


めぐは【筋強直性ジストロフィー】という疾患で、知的障害も合併しています。
読み書きなどはできませんが、社会性が抜群にある人です。

何がすごいって、話す人によって話題の方向を変えられること。
ネコ好きな人と話すときは「ねこ、いる?ねこ」、おなかがぽっこりな職員さんと話すときは「ペア、ペア(めぐもおなかがぽっこりさんなので)」など、相手が喜びそうなネタや、前に盛り上がったネタをちゃんと振るんです。


また、社交性もすごい。
基本的に、誰とでも仲良くなりたいめぐ。
疾患の影響で表情が動きにくく、言葉も聞き取りにくいので、最初は話しかけられた人も「えっ…」という感じで戸惑うのですが、

「ここ、こんにちは」
「だれ?だれ?」
「こわい〜」

から始まり、徐々に距離感を詰め、最終的には

「ああ、あくしゅ、あくしゅ」

これでみんなめぐの友達。笑
気づけば【めぐワールド】の住人。
院内の人(他病棟の患者・スタッフ、売店や食堂の人たちなど)はもちろん、病院に出入りする業者さんまで、みんな顔を合わせれば「おー、めぐ!元気か?」と声をかけてくれました。


同じ病棟の患者のところに来る家族のことも好きなめぐ。
特にお父さんと兄弟たちに興味津々で、いちばんと言っていいほどのお気に入りが、わたしの夫のお父さんとお兄ちゃん。
面会に来るたびに「おお、おと、おとうさんは?」「おお、おに、おにいちゃんは?」と言いながら夫の病室へ入っていくのがお決まりのパターンでした笑

めぐ自身の家族は、めったに面会に来られる状況ではなく、もしかしたらその影響もあったのかもしれません。
いや、それは邪推かな。
純粋に、人が好きなんだと思います。


食べ物部門の大好物は、カレーライス。
毎日のように、昼食・夕食のどちらかにレトルトカレーを食べるくらい大好き。

栄養的にはアレだけど、主治医の先生は「筋疾患の患者さんは栄養を摂りにくいので、食べられるときに食べられるものを食べてください」という方針でいてくださったので、問題なし。たぶん。

だもんで、めぐを知る人たちの中では【めぐ=カレー】が常識です。
ソニンより先に【カレーライスの女】でした。
知ってます?ソニンの歌に『カレーライスの女』というのがあるんです…えぇ…余談が過ぎました。


楽しいことも多かったけど、四六時中一緒に過ごしていると、もちろんイラッとすることもたくさん笑

・爆音で流されるCDの音量をめぐる攻防
・毎日何度となく繰り返される同じやりとり
・夏の衣替え時期に発症する『半袖着たい病』
(暖かくなり始めると「半袖着たいよー!」って泣く)

などなど、小さな“イラッ”は日常茶飯事。


いちばん困り果てたのは、風邪などでいつもと違うお薬が出たとき。

こういう変化に対応するのが難しいので、いつもと違うお薬は飲まない。頑なに、飲まない。


そうなると始まるのが、


絶対に飲みたくないめぐ 
vs 
絶対に飲ませないといけない看護師さんwithルームメイト


絶対に負けられない戦いが、ここにある。


薬を前にグズグズするめぐを、ホストクラブの「飲ーんで飲んで飲んで!👏」コールさながら盛り上げ、愛してやまない床屋のおじさんの来訪を取り付け、動画を撮り、飲み終えたら拍手喝采。

達成感はあるけど、同時にもんのすごく疲れるので、めぐ絶対に風邪ひかないでね…と願っていました笑


客観的に見れば「そんなことにイラッとするなんて、かんなさんって器の狭い人なのね😒」と思われるかもしれませんが、ていうか実際狭いのですが、優しさや綺麗なことだけでは過ごせない。
それが、生活を共にするということなのだと思います。


ちなみに、めぐが大音量で流す曲は童謡と演歌。
おかげで天童よしみの『珍島物語』は、いまでもフルコーラス歌えます笑


このように「んもーーー!!😣😣😣」と思ったりもしたけど、それでもやっぱり憎めない、それがめぐです笑笑

そんなめぐが、この世から旅立っていったのは、4年前の今日でした。


その日、わたしは夫とともに、訪問ヘルパーさん向けの難病研修会の講師的なことをするために外出していました。
始まる前、八雲の友達から着信があったのですが出られず、その後すぐに届いたLINEでめぐの訃報を聞きました。

あまりいい状態でないことは聞いていたけど、やっぱりその知らせは衝撃的すぎて…胸がどきどきして、耳の奥がぐわぁーっとして。
でも取り乱すことはできないので、感情の波を抑えながら用事を終えました。


その後も、八雲の友達や仲良しの職員さんたちから次々に連絡が入って、病院全体でめぐをお見送りしてくれた話も聞いて。

わたしたちが退院するときにプレゼントした【NO Curry,NO LIFE】と書かれたトートバッグも一緒に帰ったよって、保育士さんが教えてくれて。


でも、なんだか現実味がなくて。


正直、近いうちにこういう結末が訪れることは、わかりたくないけどわかっていました。

その年の秋、わたしの道南への里帰りがてら病院に遊びに行ったとき、めぐはベッドで輸血を受けていました。
真っ白な顔で、目をつぶったまま。
それでも、前みたいに手をつないでくれました。


耳も片方聞こえていなくて、わたしたちの声を保育士さんが伝えてくれていたんだけど、めぐの口からか細い声で出た言葉は

「なおき(夫)のおとうさんは?」

…え?
ごめんだけど、ずっこけました笑
こんな状態なのに、この期に及んで、ずっと一緒にいたわたしよりなおきのお父さんかーい!って言いましたもん。


でも、これならまだ大丈夫かなって、思っていました。

だから、この目で最期を見届けていないこともあって、余計に実感がわかなくて。

抑えていた感情があふれたのは、次の日の夜になってからでした。


実際、4年が経ったいまでも現実味はないです。
病院は八雲から札幌に移転して2年が経つけど、病院に行けばまだいるような気がする。


人気者のめぐは、姿はなくてもみんなの中にいる ということだなぁ…と思っています。
【みんなに忘れられない限り、その人は生き続ける】って言いますもんね😊
忘れることは絶対にないので、めぐはずっとどこかに生きているのだと思います。

命日は、こちらの世界から旅立った大切な人にゆっくり思いを馳せる日だとわたしは思っていて。
なので、馳せた思いをここに綴らせてもらいました。

めぐは水分制限があったので、
いつも牛乳を半分こしていました。
わたしの本名がバレますね…笑


今回のヘッダー写真は、わたしたちが退院するときにめぐが保育士さんと一緒に作ってくれた羊毛フェルトのストラップ。
いまだに現役です。



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