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2014.6.3

5月31日の深夜に帰ってきて、開けて次の日すぐに、葬儀屋さんが家に来た。葬儀の打ち合わせをするためだ。


私と兄と、葬儀屋さんがテーブルについて葬儀の詳細を詰めていく。打ち合わせの途中でお寺から電話があった。ヒデは真如苑という宗教団体に入っていて、そこのお寺が戒名を考えてくれていた。真如苑は元々ヒデのお母さんが入っていて、私も結婚してすぐ入信したけど熱心な信者ではなく、「仏教なんだな」くらいの認識しかなかった。だけど葬儀の時は助かった。もろもろの費用が格段に安い。

戒名は、生きている時のその人を表す言葉で作られるそうで、ヒデは「技英秀安居士」という戒名になった。優れた技術者で、人に安心感を与える人だった、という意味。これは私が生前のヒデを真如苑の人に伝えて、それを元に考えてくれたものだった。ヒデはバネを作る機械の設計士だった。


葬儀の日程は焼き場の都合で決まる。6月3日に焼き場の予約が取れたので、通夜は2日、葬儀は3日と決まった。暑くなってきた季節、葬儀屋さんが大量の保冷剤をヒデの服の中に突っ込んでいく。


私は打ち合わせ中、何度も苦しくなって横になり、私しか決められないことが出てくるたびに兄が申し訳なさそうに「ごめん、起きれる?」と起こしに来てくれた。

とにかく体が重くて眠くて、考えることを拒否していた。食欲もなかった。母がお寿司を買ってきてくれていたんだけど目の前にすると食べられなかった。ヒデが食べられないのに、自分1人美味しいものを食べてもいいの?と固まってしまい、結局「授乳してるんだから、子どものために食べなさい」と言われて仕方なしに食べ物を口に運んだ。


お通夜のことは、覚えていない。


覚えているのはお葬式の朝。
母が「今日は昨日より辛いかもしれないよ」と言いながらリビングに祭壇を作ってくれて、私は「なんでだろう」と思っていた。もうずっと辛いのに、今日が特に辛いってなんでだろう、と。


母は、「秀行さんの体を焼かなきゃいけないから、昨日より辛いかもしれない」という意味だったんだけど、その時の私は、ほんの少し先のことを考える余力もなくて、「なんでかなあ」なんて思ってた。

葬儀の間中、私は「これが終わったらヒデを探しに行こう」ということと、「泣いたら本当のことになっちゃうから、みんな勝手に泣かないでよ!」ということを交互に思っていて、目の前で起きていることからは目を背けていた。


私は号泣したりしなかったし、棺に縋って「行かないで!」とかも言わなかった。ただ淡々と喪主を務めていて、涙が出そうになったら「ヒデはカッコ悪いことが嫌いだ。人前で泣いたらダメだ」と身体中に力を入れて我慢していた。

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結婚生活は、ずっと順調だったわけじゃない。リーマンショックの影響をもろに受けて、経済的に苦しい時期が長かったし、ヒデが心臓の手術をしたり、私が流産をきっかけに体調を崩して働けない時期もあった。たった5年半の中に、喜びと葛藤が詰まっていた。

息子が生まれた後の夫婦関係もいわゆる「産後クライシス」で、私も不安定だったけど、ヒデ自身も危なっかしくなってしまった。なんとなく言動が変で、不安や怒りを抱えているのが伝わってきて、一緒にいるのが辛かった。


普段の生活で喧嘩ばかりしてるとか、そういうことではないけれど、この先何十年も夫婦生活を続けていけるんだろうかという危機感はあった。そんな中での死別。「ありがとう」も「ごめんね」も何も言えず、死ぬ瞬間も見ていない。体というのは、魂が抜けるとその人らしさが無くなる。ただの入れ物感が強くなり、何かの陰謀によってこれを事実と捏造されたんじゃないかとすら思えてくる。

葬儀の後、コンビニに行っても、「これも買って」とお菓子をカゴに入れてくるヒデの幻想というか感覚が残っていて姿を探してしまう。
よく買い物に行ってたショッピングモールに行っても、買う予定のないものを買いたいと言い出して「えー、今月の予算オーバーしてんだけど」と小競り合いになる思い出が頭を掠める。

当たり前にそんなやり取りをしていた時は、「めんどくさいな!」と思っていたけれど、全く誰にも何も言われず買い物を済ますことができる状況になると、味気なすぎてしんどかった。

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葬儀の後だったか前だったか、いつだったか忘れたけれどこんな夢を見た。
天国のヒデと、電話で話せるっていう夢。
私が寝ていたら電話がかかってきて、出ると「ゴーゴー」と風の音しかしない。でも私は、ヒデからの電話だとわかる。ヒデはもう体が無いから、人間の言葉が喋れなくなってて、でも私を心配してかけてきてくれた。私は「最近の技術はすごいねえ!天国まで電話繋がるんだ!ヒデの言ってること今はわかんないけど、翻訳機もできるかもねえ!」なんて呑気に言って目がさめる。

当然、天国に電話は繋がらない。あ、夢だったんだ、と思うと涙が止まらなくなって、「ヒデに会いたいヒデに会いたいヒデに会いたいヒデに会いたい」だけで頭が一杯になった。そうすると息の仕方がわからなくなって、自分にはまだ体があることを知る。

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ヒデが本当にもう、帰って来ないんだってことが分かるようになったのは、葬儀から半年が経った頃だった。









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