「人と比べない」は、できないので「隣の芝生」で考える

よく「人と比べるな」と言う言葉を耳にします。
他人と比べるから嫉妬や不満が生まれるのだから、比べるなという事です。

確かに考え方としては異論はないですが、現実的ではない気がします。

物事を見聞きし考える時は、無意識のうちに何かと比較してしまうのです。
絶対的な尺度なんてないから、比較するしかないのです。

一歩外に出れば、人の服装、髪型、走ってる車、操作してるスマホ、つまり一般社会との比較。 友人や近所の人と話をすれば、誰がどんな大学出たのか、どんな会社に勤めているのか、どこに住んでいるのか、つまり自分を取り巻く人たちとの比較。それらの情報がいやでも入ってきます。 言えばきりがありません。

それらは、全て比較対象になりうるのです。自分から積極的に取りに行った情報でなくても、勝手にそういう情報を見たり聞いたりしてしまうわけです。
それを気にかけない様にするにはどうすればいいでしょうか。

恐らくそれは不可能です。
気にかけないとすれば、それは全く関心の無い事だけです。

つまり、「人と比べるな」を本気で実行するためには、その事に対して無関心である必要があります。 しかし、そもそも比べる比べないと言ってる事自体、関心がある証拠なのですから、それを無関心にする事はできないのです。

この「比べない」はもっと深く解釈すべきかもしれません。比べてしまう事は回避できないけど、それを気にしてはいけない。 ですが、気にしないなんてできないわけですから、「比べる事で不満になる」というメカニズムを意識する事で、気になるレベルを少でも下げるという事なんだと思います。

しかし、私としてはこれよりも「隣の芝生は青く見える」の方が現実的に納得できる理論に思えます。つまり、他人の事(物)はよく見えるという普遍の心理です。

いや、本当に青いから・・・。 よく見えるのではなく、本当によいのですよ。
それを青く見えるだけである、と言われても・・・
これはそういう事じゃないのです。

あの人は一流大学で、私は三流大学。 これは一流大学の人がよく見えるというのではなく、本当によいわけです。つまり本当に青いわけです。
しかし、本質はそこではありません。

問題は大学の偏差値云々ではなく。 一流大学の人が、三流大学に行ってる人が思うほど満足しているかという事です。

恐らく、その人にとっては普通のことなので、たいして幸福は感じていないはずです。それが叶った瞬間は確かに幸せですが、その幸福感がずっと続くわけではありません。 すぐ慣れてしまい、またその上に目が向くからです。

また、お互いの立場が羨ましいと思う事もあります。
結婚して家族をもってる人は幸せそうだなと、独身の人が羨みます。
一方で家庭持ちは、できれば一人で暮らしたい、独身者が羨ましい、
と思ったりするわけです。

人と比べない事はできません。できるのは、比べたあとに「隣の芝生は青い」や
「ない物ねだり」の理論で考える事だけです。

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