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外野はどうだ?

最後の夏の大会を控えた一ヶ月前、校内放送で顧問に呼び出され、そう聞かれた。

私のポジションは捕手、肩も弱くてピンチになると投手より動揺してしまうようなメンタルだったけど、入部してから捕手をずっと練習してきた為、最後の夏も捕手で出たいなとなんとなく思っていた。

高2の秋も、高3の春も捕手として出てたのだから、余程のことがない限り外されることはないだろうと思っていた。

余程のことはこれまでにずっとあった。

高2の春に練習試合で捕手に出るようになったものの、打てないし守れない、盗塁を刺せるような肩もない。

それでも使ってもらえたのは深刻な程の捕手不足。練習試合を2試合行うためには私を出さざるを得なかったのだ。

そうやって何度も試合に出る中で、捕手としての経験を少しずつ積み上げていき、高2の秋の新チームが発足した頃、自分の定位置は8番捕手となる。

守備に余裕が出てくると、打撃の方の調子も良くなってきて、3年の春の大会のときには3番捕手の定位置を掴んだ。

春の大会と夏の大会の期間は2ヶ月未満。大怪我をしない限り、まず試合には出られるなと安心しきっていた。




夏の大会の一ヶ月前に顧問に呼び出され、「外野で出る気はないか?」と、聞かれた。

実は、2年の冬頃から外野の練習に合流する事が増え、春の遠征では1試合目は捕手、2試合目は外野として出るようになり、春の大会前の練習試合でも同じような形で2試合に出る事がほとんどだった。

送球に不安があった為、外野手としてのスローイングが捕手に活かせるという顧問の話もあったから、捕手と外野手の練習をひたすらやっていた。

それでも、春の大会は捕手で出場できたし、まさかここにきて外野転向を宣告されるとは思わなかった。ただ、顧問の聞き方は「外野はどうだ?」だけで、捕手じゃなく外野!と断言されたわけではない。

急すぎてびっくりしたのもあって、「外野…ですか..?」と聞き返す。なぜ、どうして、理由ならいくらでも思いつく。ただ、夏の大会を控えた一ヶ月前に言われるとは思わず、すぐに「はい!」と返事することはできなかった。

今思い返してみれば、捕手で出たいですと言えば私の気持ちを尊重してくれて、捕手として出場できたのかもしれない。

それでもその時は、「外野はどうだ?」が、「捕手じゃなく外野で出てくれ。」に聞こえてしまって、「それがチームの為になるなら、外野として出場します。」と、答えた。

顧問も最初から最後までずっと渋い顔をしていて、それだけ私の気持ちを考えてくれているのかと思ったし、嬉しさもあった。

1ヶ月前に外野として出ることになっても戦力として見てくれているというのが、高校野球を初めて一番期待されているな、と感じた瞬間であったからだ。

それでも、夏の大会前に背番号を配られるまでは、もしかしたらまだ捕手として出られるかもしれないっていう気持ちも、ほんの少しだけあった。結果は1ヶ月前からわかっていたのに、背番号が配られる時にも、もしかしたら自分は2番をもらえるかもしれないと心の中で思っていた。

「7番 〇〇」


私の名前が呼ばれた。

私は最後の夏、秋の大会、春の大会とつけていた背番号2番ではなく、背番号7番として最後の大会に出場することになった。

「3番、レフト、〇〇君」


最後の夏の大会のアナウンスは、ずっと違和感が残ったままだ。


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