楽しんだもの勝ち。
仕事中、精神障害のあるAさんが、ふいに私に問いかけてきた。
「○○さん(私のこと)、やっぱり人生楽しんだもの勝ちですよね」
あまりの不意打ちに、「なぜ、私に聞いたのだろう」と、内心とまどいながらも、仕事モードの私は、笑いながら、
「そうですよ。楽しんだもの勝ちですよ。楽しんだ方が良いですよ。」と、すぐに答えた。
すると、素直で優しいAさんは、「そーですね。やっぱりそうですよね」と私の胡散臭い言葉を受け入れてくれたのか、笑顔になり、納得してくれていたようだった。
それを見た私は内心ほっとしつつも、少しひっかかっていた。
それは、「なぜ私に聞いたのか」ということである。
彼女には、私が人生を楽しんでいるように見えるのだろうか?
それとも、楽しんでいないように見えるのだろうか?
なぜ、あの時私は「なぜ、私に聞いたの?」と聞かなかっだろうか?
今になって、少しだけ後悔している。
そして、なぜひっかかっていたのか。
それは、プライベート中で、仲の良い人に聞かれていたら、そう答えていなかっただろうと考えたからである。
もちろん、「人生は楽しんだ方が良い」ことはわかっている。
でも、私には、そんな強気な言葉を言える、確信もはったりさもないのだ。
例えて言うなら、数学の解答をカンニングして答えは分かっているけど、自分で式が作れないから解けない みたいな感じだろうか。
解答が分かってるなら、ハッタリかまして、正解に持っていけば良いのに…。
私には、人生を楽しむ余裕も器用さもないのかもしれない。
手元にあるメガネに気付かずに、「メガネ、メガネ」と、常に探してるみたいな感じなのかもしれない 笑。
まぁ、それは、それで、少しだけ面白いのだが…。
最後に、Aさんには、少し感謝している。
なぜなら、私に考えるきっかけをくれたから。
私だって、本当は、楽しみたいのだ。
「人生、楽しんだもの勝ち」だって、本心から言えるようになりたいのだ。
とは、いえ、私のメガネ探しはしばらくは続きそうである 笑。
どうか、今日の私の答えが、ペラペラながらも、ほんの一瞬でも、Aさんの心を少しだけ明るく照らしてくれてますように。そう願っている。
なぜなら、聞いた相手はさておき、誰かに聞きたいと思い、問いかけたAさんは、きっと何らかの前向きな言葉が欲しかったのではないかと思うからである。
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