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無知って怖いという話。

 年明け早々のビンタ事件もあり、私は、無知の怖さをひしひしと感じている。

もし私が無知じゃなかったら、そもそも、そんな事は起こらなかったかもしれないし、起こさせてなかったかもしれない。
今よりももっと気持ちよく生活を送ってもらえていたかもしれない。(そう考えること自体、私のエゴだという自覚はあるが)

そう考えると、無知な自分を含め、無知って怖いと思ってしまったのだ。

となると、ただやみくもに頑張ることは、あまりにも怖すぎるという、かなり当たり前なことに気付かされてしまったのである。

なぜなら、それによって、両者が不幸になりかねないからだ。
それでいて、誰も責められない。

あまりにも、無責任な話なのである。

分かっていてやらなかった。
分からないからやらなかった。

どちらもやらなかった事実は同じだが、
全く違う。

そういうことである。

 元来、私は、分からない事はわからないと言うようにしているのだが、わからないって事にすら、気付いてなかったのだ。
だから、「分からない」と言っていたかもしれないが、実際には、何が分からないのかが分からずに、あやふやにしてしまっていたのである。

 その結果、スルーが積み重なり、後で痛手を負わしつつも、自分も痛手を負うことになってしまったのだろう。

だから、あれは、ビンタという名のしっぺ返しだったのかもしれない。

もちろん、原因は他にもある。

でも、それをさておいても、やっぱり一番に、私は無知の怖さをひしひしと感じたのである。

そして、それは今も感じている。

それが、今の私のある部分においての原動力となっているのも感じてはいるのだ。

でも、実は、最近迷っている。

(いつも迷っているし、悩んでいるので、スルーしていただいて大丈夫です)

それは、現実的な問題と焦りからだ。

回り道をすると決めたのは私自身なのだが、その回り道が、目指す先に繋がっているのか、無事回り道を抜けきれるのか、確信どころか、わずかな自信さえなくなりそうになっているからである。

恥ずかしい話だが、これが今の私の本音だ。

現実問題として、どちらにしても、軌道修正か補強は必要なので、考えないといけないのだが、中々、重い腰が上がらないのである。

そして、それは、しっぺ返しが怖いからである 笑。

もっと、楽に生きられたら、良かったなぁ 笑。
そうしたら、今頃きっと、豪華客船で世界一周していたかもしれないのになぁ 笑。

※最後に、今日は愚痴ばかり書いてしまいました。
しっぺ返しはないので、安心してスルーしてください 笑。

それから、世界一周は、本気でしてみたいです!



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