見出し画像

撮ることと撮られること。

私は、写真を撮るのは好きだが、撮られるのは、あまり好きではない。
綺麗な景色と私の構図なんて、私が邪魔でしかないのだ笑。

綺麗な景色は、綺麗な景色だけで楽しみたい。

と、ここで、今日のニュースについて考えたことを書きたい。

とある会社でのパワハラ場面を第三者によって撮影&ネットに投稿され、パワハラが問題視されているニュースについて。

あくまでも私の主観と憶測だけの話である。

もし私が怒られている方で、自分の惨めな様をネットにあげられたら、家族にも友人にも言えない位恥ずかしいし、会社にも居づらくなって、辞めてしまうだろうと思うのである。

私には、パワハラを我慢してまでも、今すぐ辞められない、そこで働く理由があったかもしれないし、もしかしたら、じっくりと転職活動をしてた最中だったのかもしれない。

転職活動をする際も、「会社に知られたら、仕事が出来ない人だと思われてしまうかも」と疑心暗鬼になってしまうに違いないと思うのである。

正義感は、きっと正しい。
だから、撮影した方も正しいのかもしれない。

でも、私がもし、パワハラを受けていた彼だったらと、考えると、すごく正義感が怖くなったのだ。

これが社内の人からの告発なら、また違うだろう。

そして、ここで書いている私も、私の正義感を振りかざしているにすぎないのである。

正義感の正しい使い方って、あるのだろうか?

どうか、パワハラを受けていた方が、不幸になりませんように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?