なんだかなんともいえない。
例えば、ある人が、包帯を巻いていたとき、
私は、包帯を巻くほどの傷なのだと自然に考え、心配する。
それが当たり前なのだと思っていた。
いや、今でもそう思う。
でも、もしその包帯が、単なるかすり傷に巻かれていたら。
私は、どう捉えるのだろう。
つい、先日だが、そう考えさせられるような事に遭遇した。
かすり傷とはいえ、怪我をした事には変わらないのだから、少しは心配すべきだという天使のささやきと、たかがかすり傷程度で、大げさだという悪魔のささやきが私の中で葛藤したのだが、やっぱり私は天使にはなれなかったのである 笑。
と、悪魔になったついでに、正直にいうと、
その人に会うたびに、少しでも心配していた私が、
言葉が悪いが、バカを見たような気がしてしまったのである。
でも、やっぱり私は、悪魔にはなりたくないので、ここで考え直すことにしたのである。
とはいえ、もうすでに手遅れではあるが 笑。
で、私が何に着目したかというと。
なぜ、その人は、かすり傷に包帯を巻いたのかということだ。
心配されたかったから?
不満が重なっていて、大ごとにしたかったから?
心が傷ついたから?
本当に痛かったから?
もちろん、本人には聞くことはできないので、聞いた話からの推測にはなるのだが。
私は心が傷ついたからなのかもしれないと考えたのだ。
と、ここで、私は10年くらい前に観た、「ブラック会社で働いているのだが、もう俺は限界かもしれない」という映画のとあるシーンをふと思い出したのである。
そのシーンとは、小池徹平が演じるブラック会社で働く会社員の同僚(マイコ)の女性が、好きな上司にフラれ、怪我などしていないのに、足にギブスをはめ、松葉杖をついているシーンである。
そう、目に見えない傷だと、心配してもらえないから、
みんなに心配して労ってもらえるように、
マイコが演じる傷心の女性は、ギブスをつけたのだ。
一言でいうなら、
ありえない。
が、その時、一刀両断することが出来なかったから、私は今だに、そのシーンをありありと覚えているのである。
そして、私にも見えない傷を見せびらかしたくなる時が確かにあったことを思い出したのだ。
だったら、見せかけの包帯ひとつで、かすり傷も、いやな気持ちも治癒されるなら、それもまた仕方ないのではないか?
だとしたら、最近心配していた私も、少しは役には立ったのかもしれないと思ったのだ。
かといって、私は演技とかできないし、嘘も苦手だし、不器用なので包帯もうまく巻けないので、私には出来ないのだが。
だから、心配することくらいなら、やってもいいかなと思えてきたのである。
でも、やっぱり、なんだかモヤモヤしてしまう。
だから、私も、そのモヤモヤに、小さなカットバン1つくらい貼ってみたいと思っている 笑。
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