eumo(共感資本社会)とエコロジカル経済

先日、並木将央先生の「成熟社会ビジネス実践会」に、コロナ禍になってからは初めて、久しぶりに参加しました。その際、マクロ経済における資本の移動のお話があったのですが、それを表した図を見ていると、マクロ経済はいかにも人体のシステムに似ていることに気づきました。と同時に、これを人体ではなく、エコシステム、つまり植物をメタファーに置き換えたらどうなるか、とながめていたら、面白いものが見えてきました。今回はそんなことを書いてみようと思います。

マクロ経済の大きな流れは、政府、企業、家計というプレーヤーに海外が加わり、仮にですが、その4者の中で、「資本」がぐるぐる循環しています。労働、賃金、税金、補助金、海外送金や貿易といったものがここで言う「資本」です。

人の体は、今いったプレーヤーが臓器で、資本と呼んだものが、それぞれ、神経、血液、リンパなどに相当するように思えます。

今回のコロナ禍でよくわかりましたが、グローバル経済は、例えば中国の工場が止まるといっただけでも、最後は、国の税収が減る、家計では給料が減るなどのように、すべてのプレーヤーに影響が及びます。「規模の経済」を回すには順調であることに前提条件が置かれます。ということは、一部分が寸断されることによって、システム全体が機能不全に陥るわけです。

人体もそうですよね。大けがをして、出血がひどかったら死んでしまいます。また、仮に体の一部を失ったとしたら、タコのようにそれが再生するわけでもありません。

一方で、植物は人間をはじめ脊椎動物が持っていないものとして「節」を持っています。それは両者の構造の違いを意味します。動物の場合、神経胚から形成された神経管に体節がはめ込まれるようにして神経系、排泄系、運動系などの各系へと発展し、中央集権的なシステムが出来上がります。これに対し植物は自己完結的な「節」の積み重なりによって形成させているのです。

少しややこしくなってきたので、例を出して説明を続けます。

例えば、この仕組みを会社組織に取り込んだのがティール組織です。ティール組織では「セルフマネジメント」と呼ばれる機能がそれにあたります。その「セルフマネジメント」では、旧来の組織が本社機能として中央集権化していた、人事、購買、カスタマーサービスなどのサポート部門と呼ばれる機能を現場のユニットが内包しています。情報や活動の拠点が最前線にあるので、その場での判断が可能になるのです。先ほどの、植物の持つ「節」と同じ構造です。自立した複数のユニットによるシステム構造を自律分散型と呼びます。

では、中央集権型にない、自律分散型社会の特徴とは何でしょうか。その構成素にはどのようなものが挙げられるでしょうか。

私には、3つの要素が頭をよぎりました。1つ目が、地域通貨。コミュニティで使える仮想通貨も含まれます。2つ目は、地域内ですべてが完結できるための互助形態。3つ目が、マクロ経済から切り離されても生活に困らないような広い意味での自給自足、もしくは、半分は経済活動と通しての収入と、もう半分は農業を通してといった「半農」。

これらは、考えてみたら、eumo(共感資本社会)やそれに関連したプロジェクト活動のなかで、もうすでに、すべてが存在しているのです。

例えば、共感通貨eumo、プライベートベーシックインカム、農業や食に関するプロジェクトなど。マクロ経済からエコロジカルな経済へのシフトは、局所で、もう始まっているのです。

※参考資料
並木将央『成熟社会のビジネスシフト 10年後も会社が続くために』(総合法令出版)
三木成夫『いのちの波』(平凡社)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?