悪用厳禁!相手に告らせるワザ、「被動態」
國分功一郎による再発見によって、「中動態」は多くの人に知られるようになりました。今回は、「中動態」と同じように、古くて新しい「被動態」について考察してみます。感覚的には、能動でも受動でもないのが「中動態」だとしたら、能動でもあり受動でもあるのが「被動態」だといえます。
言葉のルーツは明治時代にさかのぼり、時の外務大臣、陸奥宗光による造語だとされています。日清戦争の開戦前夜、陸奥の手記にこの言葉が出てきます。
1894年(明治27年)、李氏朝鮮政府の重税に苦しむ朝鮮民衆が大規模な反乱を起こしました。自力での鎮圧が不可能であると悟った朝鮮政府は、宗主国である清国に来援を求めます。そして、清国の派兵の動きを見た日本政府も日本人居留民の保護を目的に朝鮮半島に兵を派遣しました。しかし、反乱が収束した後も、日本側は兵を引かず、清国に、ともに朝鮮の内政改革を指導していきましょうと持ち掛けます。
日本政府の意図は明確で、清国側がそれを拒絶することを口実に、清国との戦の口火を切りたいというものです。清国はまんまとその罠にかかります。そして、日本との敗戦が原因となって、滅んでいきます。
「被動」というのは、最終的には「受動」の形を取ります。しかし、それに至る状況は「能動」的に作られていきます。
実は、この「被動態」ですが、その後に、第2次世界大戦時における、日米開戦の時にも用いられています。
(ここからは戦争の話です。面倒くさいと思う方は、「ここまで」というところまで読み飛ばしてください)
1940年8月、日本の海軍軍令部は陸軍参謀本部のスタッフを招き、同年7月に出された「世界情勢の推移に伴う時局処理要綱」の具体化を進めました。ヨーロッパでは、日本の同盟国であるドイツの躍進によって、ほぼ統一が進み、残る独立国はイギリスだけとなっている状況で、ちょうど、そのドイツがイギリスへの侵攻を開始した時期でした。一方の東アジアでは、日本の南進政策に対して、どこまでならアメリカが黙って見ているか、その線引きが必要でした。また、イギリス首相、チャーチルの要請に応じてアメリカが欧州戦線に参戦した場合、ドイツがソ連へも侵攻した場合、日本が第二次世界大戦に参戦する、もしくは参戦せざるを得ない状況の想定をしておく必要がありました。
上の表は、実際にその会議で決められた“開戦の条件”です。
実際に日本がアメリカとの戦争に踏み切ったのがこの中でも、恐らく最悪の状況といったA-aです。日本の南部仏印(フランス領インドシナ、今の南ベトナム)進駐を期に、アメリカは内務省主導で日本に対する石油の全面的な禁輸が開始されます。それに、イギリス(B)、中国(C)、オランダ(D)が追随して、ABCD包囲網と呼ばれる日本に対する経済封鎖が行われました。これが日本が武力に訴えざるを得ない状況の一つとされました。
A-bというのは、アメリカやイギリスが日本の委任統治領であった南洋諸島などに先制攻撃を仕掛けてきた場合ですが、これは起こりませんでした。
B-aは中国との戦争に目途が付き、その軍事力をアメリカかソ連に向けようとするドイツとの共同作戦ですが、これも実現しませんでした。もっとも、日本の関東軍は満州国で80万人を擁する大演習を行い、いつでもソ連との国境を超える準備をしていました。しかし、西側から攻めるドイツの侵攻が予想よりも遅かったため、北部方面での開戦は見送られ、その兵力は東南アジアに向けられました。
B-bは南北アメリカのことは他国の指図は受けないというモンロー主義を、同様にアジアにおける日本に置きかえ、アメリカがそれを認めた場合という虫の良い条件です。希望的観測が過ぎるのではないかと思うかもしれませんが、ソ連がドイツの侵攻に苦戦した場合、アメリカが日本の示した条件に譲歩する可能性が高かったのではないかと思います。アメリカが絶対に譲れないのはユダヤ民族の虐殺を平然と行うナチス・ドイツの滅亡であり、ドイツに同調しているだけの日本は滅ぼす必要はなかったからです。
ということは、ドイツ、ソ連、アメリカ、イギリス、日本という5大プレーヤーの作り出す強弱・バランスによって、「国家存亡の危機」から、「漁夫の利を得る」まで、ありとあらゆる、複雑な想定が必要だったことが分かります。
しかし、このような「開戦トリガー」が設定されていたらどうなるか、戦争による利益を得たい人たち、つまり、一部の主戦派によって、意図的に状況が作り出させてしまう可能性が大なのです。
(ここまで)
この「受動」的に行動が開始せざるを得ない状況を「能動」的に作り出す話を友人に話していると、その友人から、「相手に告らせるため仕向けるのとおんなじだね」と言われました。なるほど、それは確かに、当てはまると思いました。
考えてみたら、「引き寄せの法則」も「被動」にあたるのかもしれません。
キャリア開発の分野では、計画的偶発性理論(Planned Happenstance Theory)という理論がよく使われます。ビジネス・パーソンのキャリアにおける約8割が偶然の出来事に支配されているというもので、さらに、偶然を引き寄せるための5つの行動特性を提唱しています。
好奇心(Curiosity)
持続性(Persistence)
楽観性(Optimism)
柔軟性(Flexibility)
冒険心(Risk Taking)
これら5つの行動特性はまさしく「被動態」にあたるといえます。「物事に対して○○○をもって取り組んでいると、幸運な偶然に巡り合える」と読み取ることができるからです。
「被動態」は、自分にとって有利となる状況を作り出すために戦略的に活用するのが本来の目的のように思います。しかし、その受動的な状況を先に計画してしまうと、先程の日米開戦の時のように、他人によって悪用されてしまう可能性も出てきます。例えば、ここ半年間、あらゆる手を尽くして、もうちょっとで彼女から告白してくるんじゃないかという状況にあって、それを知った友人Aが彼女に告白し、すべてを持っていかれる、というような。
偶然をコントロールしようとすること自体は悪いこととは思いませんが、利己的であればあるほど、悪意の入り込む余地ができ(自分にとっておいしい状況は、他人にとってもおいしい)、さらわれてしまうリスクも高まるように思います。日清の開戦時も、日米の開戦時も、彼女からの告白を待つときでも、最後は「偶然」が左右しました。それを考えると、よほど政治的有利にことを運ぶ必要のない時は、直接的な行為による正面突破の方がリスクは少ないように思います。
最後まで読んでいただいて、どうもありがとうございました。