見出し画像

メンヘラがマイメロをすきな理由

 大人と子供という対比語に"っぽい"を付けるだけで、世間的には多くの場合、”大人っぽい”という言葉は褒め言葉になり、”子供っぽい”という言葉は貶すような馬鹿にするような意味を含む。
 どうして?以前から疑問に思っていた。

 “大人っぽい”、つまり年齢に合わず大人びていることは迎合されがちである一方で”子供っぽい”は年齢に合わず幼稚だ、という意味で使われ、非難される傾向にある。どうして幼さは世間的に需要が少なく迫害される対象になるのだろうか。

 それは、幼いことは社会的ではないから。言わば、幼なさは反社会性なのだ。 
 世間的に年齢に合った服装が迎合されるのと同様に、年齢に合った精神の成長が当たり前に求められる。そして、”幼さ”は年齢を重ねてきた肉体には不一致であるように煙たがられる。
 そのため、幼いキャラクターが売りになる有名人や無邪気さや幼さをアイデンティティとする人を無意識的に嫌う人は多い。前に比べその傾向は薄れていっているとは思うが。

 意図的でとてもわかりやすい、社会に迎合しないこと(反社会性)を誇示できるツール。酒、タバコ、ピアス。幼なさもそれに並ぶ。幼い服装や髪型や持ち物、少年少女趣味に限らず精神的な幼なさを大切にすることも反社会性だ。
 偏見だが、メンヘラは大抵、承認欲求の大きさに対し社会から受け入れられづらいこと、つまり自身の社会性の無さに病んでいると思う。元からすくない自己愛を社会にずりずり削られていくのだ。それ故社会への対抗心を示すため、酒、タバコ、ピアスといった嗜好ツールの、その程度の大きさを表現する傾向にある。それと同じく"幼さ"も、自分の反社会的アイデンティティを確立するための手段のひとつなのである

 言うなれば、愛や恋や性的なことも、社会性とは対極にあるものだ。恋愛は社会性の逸脱。その逸脱する瞬間の、あのなんとも言い難い、毎回初めてちょっと悪いことするみたいな(毎回初めてなんだけどね)ドキドキワクワクの刺激がやめられず、人は飽きずに恋愛する。完全に偏見だが、愛が大きかったりエロかったりする人は社会性が薄く、逆も然りであると、これまで自分と照らし合わせて他人を観察してきて思う。
 OLのモットーみたいなことを言うが、”仕事と恋愛の両立”という、散々使い回されてきたこのセリフ。これはそれぞれに極めて相反する能力が必要な2大タスクを1人の人間が同時期にこなそう!という、とても難しいことを言っているのだ。(メンヘラも愛や恋やエロの方に能力の比重がいっているため、社会性が欠落する傾向にあるのかもしれない。)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?