花は野にあるように



花は野にあるように入れなさいという教えがある。
「野にあるように」入れるとはどういうことなのか。
分からないので、自然が自然のままにある様を観察している。

ボーっと観察を続けて、なんとなくこうなんじゃないかという視点を得た。フラクタルだ。
リアス式海岸の海岸線の一部を拡大していくとまた新たな同じ形状の海岸線がみえてくるあれだ。部分と全体の自己相似というやつだ。

さまざまな草木、草花が、こう伸びたい、こう咲きたいという意思を示し、重力や、雨風にあらがいながら、そこにある。陽光の方に誘われることもあるだろう。

その様の全体、その様の部分を、再現することが、「野にあるように」なのではないだろうか。

山奥深くに木々が身を寄せ合っている。
雪間から、日の光をもとめて小さな草が手を伸ばそうとしている。
枯れ葉を落とし落としする細木の影から可愛く咲いた花がひっそり見える。

そんな景色を、そんな野を、フラクタルに、床に添えたい。

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