意を宣る



先日京都に遊んだおり、偶然見かけた古美術商で、根来の金輪寺を見せてもらった。
いわゆる金輪寺のように蓋が笠に張り出さず、下の身のまますっくり立ち上がったかのような蓋のなりで、
蓋の甲と身の口辺りとだけが黒く擦れていた。
まさに長い時間の手ずれの痕だろう。
大きさも一回り大きく、否、体感ではひとまわり半大きい印象。底が厚いのか重さもあった。
私は、この根来を掌にもったとき、かたじけなさに泪あふるる、無性に祈る気持ちになった。

祈るとは、なんだろう、なんなのか?
ことば遊びをすれば
意を宣ることだとも言えまいか。
思い・気持ちを宣言する、その思い、気持ちがことばとして世に生まれ、たま を得て、成就にはたらく。

であるなら、やはり、意宣ることは意味あり、意義あることだ。

いのるコト、いのるモノ、いのるトキ、いのるマ

いのりある衣服、いのりある室礼、いのりある茶

そこに目に見えぬ相手をいのるこころがおりたつ


いのりあるころもまとふて、茶をたてる
おもいは絶えぬ、みはひとつとも

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?