デンツーは20世紀で終わっている

 この間の経済産業省のコロナ救済事業の実態暴露はあまりにもヒドイ。とくにデンツーのグループ会社を総動員しての「利権のディストリビューター(分配機)」の姿には慙愧に耐えない。
 前回「デンツーなど潰れてしまえ」の中で、「取締役会で会社の解散を決議すべきだ」と書いたが、そんなことが実現されないのは百も承知である。
 デンツーは今思うと、まさに20世紀を席巻した会社であった。広告という仕事が「広告屋は勝手口から入れ」と言われるようなヤクザ稼業から、資本主義にとっては不可欠な産業に脱皮するのに大きな役割を果たした。
 それまで新聞・雑誌のみに依拠した広告に、ラジオやテレビという20世紀メディアを加え、そこから巨額な広告費を「ゼロから産み出した」のはデンツーであった。
 これは当時の社長・吉田秀雄氏が「この事業は前代未聞のものであり、その過酷さはわが社から多くの死者をだすことになるだろう」と全社に檄を飛ばしたように、デンツー自体の存続をも賭けた一大勝負だった。
 戦後、戦犯パージで就職すらできなかった戦時中の幹部・エリートを子会社に抱え込み、パージ後に彼らをデンツー本体の要所に配置して、初めて可能となった国家事業にも等しいプロジェクトだった。
 その実績と人材に拠り、その後の日本の国家プロジェクトすべてに関わり、仕切って来た。
 役人にそんな「仕切り作業」など出来ないので、デンツーが無かったら現代の日本社会の姿など無かった、と思えるほどである。
 「築地マフィア」とまで呼ばれたデンツーの情報収集能力は、死ぬまで働く営業と制作と協力会社に拠って担われて来た。
 イーズカは思い入れがあるので、そんな社員たちの姿がまぶしく思い出される。
 何十億もの広告費を支払う広告主に対して、一歩も引くことなく、広告主以上にマーケットを調べ上げて来た。現場を仕切るチカラは肉体労働であり、トラブルが起これば倉庫にまで駆け付けて何十万個という荷物を仕分けて来た。
 あんなことが出来る広告会社は、デンツー以外一社も無かった。
 現場を仕切る社員たちの士気は高く、現場を放り出すことなどあり得なかった。血反吐を吐いても「クライアントの担当者に、恥をかかせるな」とカネと人員を投入してきた。
 確かにアクドイこともしていたが、「クライアントが許しても、デンツーが許さない」と言うほどの自負心が仕事のクオリティを保っていた。「全員が、オレがデンツーだ」と、ブランドに恥じない仕事をしていた。
 しかしバブル崩壊後、事態は悪い方に向かった。なおかつ汐留に新本社ビルが完成させ、株式上場したころから「社としてのビジョン」が迷走した。
 現在の報道を見る限り、「かんぽの宿」を二束三文で買い叩き、それを売却して巨利を上げたオリックス、リストラの名のもとに社員の首切り指南と、労働問題の叩きつぶしに手を貸したパソナなどと同列の企業に成り下がっている。
 見るも無残で、権力者の「使いっ走り」として利権のおこぼれにあずかっている。
 デンツーには、いまも多くの優秀な人材が集い、格別な仕事をしていることも知っている。
 しかし、経営陣が許しがたい。これほどの修羅場をくぐっている社員に対して、どんな顔で命令が下せるのか。会社のプライドを踏みつけるような事をしておいて、得意先に社員を行かせることが出来るのか。
 多くの友人や先輩たちがいるので気が重いが、「21世紀に、デンツーは何をする会社なのか?」と役員ひとりひとりに尋ねてみたい。
 現状では「くたばれ、デンツー!!」と罵られても、返す言葉が無い、としか思えない。

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