「謝らない」という姿勢

 日本学術会議に関する、6名の任命拒否の問題が収まらない。アベ政権から顕著になっているが、「間違っても、謝りたくない」姿勢が際立っている。
 安倍晋三など、自分自身の失言や失政が繰り返されていた上に、昭惠夫人の話題に事欠かなかった。
 自身のミスを謝らないのは、まだ分かる。責任問題を追及されてしまう。しかしアッキーの問題など「妻には注意するように言いましたので~」と答えれば済んだ話を、「あれは私人だ」「これは総理婦人としての役割であって~」などと、みずから火に油を注いだ。

 政治家などやっていれば、失敗を犯すことなど防げない。すべてが注目されているからだ。安倍晋三のコロナ対策として「全学校を一斉休業」が思い付きで実行された。
 これはすべての階層、全家庭から総スカンを食らった。当然であるが、そのお陰で最も大事な対策を打つべき時に躊躇させてしまった。
 ひとつの失敗で済んだモノに、二次被害を発生させた。「愚か」である。

 安倍晋三は、その幼児性もあって「何としても、謝りたくない」姿勢を延々と続けた。森友、加計問題、サクラを見る会、など、謝らないうちに次の問題が「火を噴く」展開が繰り返された。

 究極の「マッチポンプ」で問題が決着しない段階で、次のトラブルが炎上する。劇場型政治の面目躍如で、追及した側も何が何だか分からなくなってしまう。

 そんな「幼児的な、謝らない姿勢」がスガ政権でも続いている。「そのまま指名すべき」を「指名拒否」したのだから意図的な判断であり、「法に則って行っていない」事は明白だ。
 それを「謝らない」から、さらに問題は深刻化して言い訳が醜態を晒すことになる。
 小学生が見ても、政権側の言い分に説得力がないことは明白である。「オマエの母ちゃん、出べそ」のレベルにまで落ちている。

 しかし、この喜悲劇が笑えない。日常的な商取引の場でも行われているからだ。

 それがあまりにヒドイので、独占禁止法に連なる「下請法」が制定された。規模の大小を問わず、発注側が受注側よりも遥かに強い立場にいる。発注したのかよく分からない状況で、受注側を振り回し、「タダ働き」させる案件が多いので、どんな案件でも「発注書」を切ることが求められた。そこには仕事概要と発注金額と、納期と入金日が記されている。
 いまや、あのデンツーですら発注書を切る。

 イーズカはこの間、ある会社にリスクマネジメントを教えていた。その会社が「コロナ後の、新時代のリスクマネジメント」セミナーを開講したいからである。

 イーズカは最終章に『アナタ、それは犯罪です』を設けた。競争社会での営利活動なので、会社業務は犯罪と背中合わせである。そこに注意を促した。

 しかし、その会社と言うよりも担当者が「下請法違反」の犯罪行為を実行している。それも証拠付きというマヌケな失態を晒している。
 「コイツはバカか?」と呆れている。

 「危機管理の鉄則その1」で、「逃げてはならない」を最重要項目で打ち出した。なのに逃げ回っている。もはや借金取りに追われる身に、自らを追いやった。当然、死ぬまで追いかけ回される。「逃げる行為」自体が更なる借金を増やしてしまう。

 すべての証拠を押さえているので、イーズカ側に焦る必要はない。時間をかけて相手が「最もツライ状況」に追い込んでいく。業界用語では、これを「型に嵌める」という。

 逃げ回ることで、身動きできない状況に堕ちていく。

 あとは「どこで許してやるか」という匙加減だけである。


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