アンディ・ウォーホールの「クールとスクエア」

 かつてウォーホールは世界の全てをふたつに分けた。
 素晴らしいモノは「クール」、ダメなモノは「スクエア」であった。この二分法にイーズカもハマった。
 イーズカの場合は、「ゴージャス」と「ビンボーくさい」である。
 「ゴージャス」とは、贅沢であり、豊穣であり、幸せをもたらすモノである。こんなモノが大好きだ。ただ、これらを楽しむためには健康が欠かせない。病弱は人生から意味を奪う。仕事は誤魔化して装うこともできるが、遊びはそうは行かない。
 素晴らしい食材も健康な胃が無いと楽しめない。どんな美女も健康体でないと互角に戦えない。サブライジングを楽しむためには体力が要る。
 片や「ビンボー臭さ」とは何だろうか。ビンボーは人生に於いて欠かせない。これなくしては豊かさが分からない。「ビンボー臭い」とは状態では無くて、想像力の欠如である。豊かさが想像できない人間は不幸である。不幸であることすら自覚できない。
 何を求めているかで、その人間の豊かさは決まる。カネしか求めていない人間は、ビンボー臭い。人生の苦悩を知らない人間もビンボー臭い。苦悩を知らないポジティブ・シンキングは「オメデタイ」としか言いようがない。
 陽気さと明るさは、反対語を経験した人間にしか分からない。オメデタイ人間は無知で、努力を知らない。人生に厚みも重みも無い。
 屈辱と向上心はエネルギーである。
 エネルギーを実感したかったら、カラダを鍛えるしかない。チャチな蹉跌で諦めたら、生命に申し訳ない。そんなチンケなモノを体力で乗り越えることが出来ないなら、生きている意味がない。
 病気と全力で戦っている人間も美しい。諦めたらオシマイである。結果では無くて、生きる姿勢と価値観が重要なのだ。
 イーズカはゴーマンなので、このように信じて疑わない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?