デンツー本

 最近は早朝に書く作業が多くなってしまった。もともと早起きなので、毎朝4時に起きてモノを書いていたが、この頃は1時起き、2時起きが多い。その代わり夜8時には寝てしまう。
 チョー朝型人間である。それだけ書くものが多いとも言える。毎日20~30ページは書いている。
 書く作業は音楽をガンガン掛けながら、リズム感でやっているので全く苦にならない。哲学、芸術論、政治モノ、文明批評、エッセイ、物語と何でも好きである。しゃべるのとほぼ同じスピードで書いている。そうしないとリズム感が狂ってしまう。
 昨日、ふと思い立って電通の第4代社長の吉田秀雄氏の本を読み出した。
 デンツーにいた時に、会社80周年事業とかで全社員に配られた「小説・吉田秀雄」を読んだことがある。まあオモシロイ本で、吉田秀雄という稀代の傑物に圧倒された。
 彼は「買い物魔」であり、「贈り物魔」であったらしい。ニューヨークで大量に洋服を買い付けては、知人や社員に贈りまくった。
 「立ち振る舞いがビジネスマンのレベルを決める」と考えていたので、服装にはうるさかったらしい。服だけでなくゴルフクラブだのバックだの、身に着けるモノすべてである。だからその買い物に付き合わされる総務部員は大変だったようだ。
 デンツーにいた頃はルミネを担当していて、作業量が膨大なので事務局を構えていた。そこに営業部長まで勤めて定年退職した人が経理を見るために在籍してくれていた。上品な方で、吉田秀雄と同じく北九州出身だった。
 彼は直接に吉田秀雄を知っており、色々と話してくれた。まあ、そのスピーチは素晴らしく、そのまま筆記すれは本として出版できるほど論理的で明快だったらしい。いつも胸ポケットに伝票のようなモノを入れていて、それを見ながらしゃべる。日常的な「メモ魔」だったようだ。
 その吉田秀雄は、築地に電通本社ビルを建設中に亡くなってしまう。丹下健三設計の歴史的な建造物で、当時の電通の財務力では13階建てが精一杯で、それ以上の借金は銀行が許さなかったという。
 その後の収益は凄まじい。所属した部の部長が言っていた。「自分が新入社員の入社式のあと人事局長が、『君たちが一切働かなくとも、わが社には給料を40年間支払う余裕がある。安心して働け。』と豪語した。みんな唖然とした。」とのこと。
 信じられない会社であった。今や見る影もない。
 そんな凄まじい会社と日本のテレビを作り出した巨人は、ガンのため早世した。
 別の総務系の社員から聞いたことだが、「吉田社長は早死にしたから名社長で居られたが、長生きしてしまったら老害と言われただろう。」とのことだった。
 どんなに優秀な人間も、老化には勝てない。色々な要素が絡むので、一概には言えないが「死ぬ時まで、優秀な人間」は滅多に居ないらしい。
 いま読んでいるのは『師匠は広告の鬼』(石川周三著)と、『われ広告の鬼とならん』(舟越健之輔著)の二冊だがオモシロイ。いまの日本の社長たちは「サラリーマンの成れの果て」でしかないので、こんな魅力的な人物は皆無である。
 ああ、今朝もまた夜が明けてしまった。


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