見出し画像

第七十三話 傘に搦める小指は


バスはまだ来ない。
停車場には五人ほどの列ができている。
冬の終りの早朝の空はどんよりと低く垂れこめている。
バスはなかなか来ない。
今にも泣き出しそうな空は堪え切れず、ひと粒、ふた粒と雨を落とし始めた。どうやら氷雨のようだ。
大学受験のために上京し、兄の友人のアパートに寄宿させてもらった。
いまから五十年以上も前のことである。
私は受験の事で頭がいっぱいで、傘を用意するところまで気が回らなかった。
空は少しずつ雨脚を速めている。
周囲で傘を開く音がする。
前後で傘を鳴らす雨音がする。
雨音は次第に大きくなってくる。
そのとき、「どうぞ」と傘を差しかけてくれる人がいた。
後にいた三十歳前だろうか、小柄な女の人だった。
華奢な小さな女ものの傘だった。
「すみません」と言って入ったものの、二人とも肩は濡れていた。恋人同士ならいざ知らず、二人の間には微妙な距離が残る。
女の人の頭が私の肩口にくるくらいの身長差があるので、その人は傘を差し上げたままにしていなくてはならない。
辛そうなので、「持ちましょうか」と傘を受け取ろうとした。
眼が女の人の手元にいった。
右手の小指がない。
どうしたのだろう。
傘を受け取ったものの、なるべく手元を見ないようにしているのだが、頭のなかは「どうして小指がないのだろう」と、そのことばかりが巡っている。
事故にでも遭ったのだろうか。
借金の返済を保険金で賄うために切断したのだろうか。
亡くした恋人に忠義だてをして指を詰めたのだろうか。
ヤクザの情婦なのだろうか。
まさか寂しさに耐え切れずに爪を咬み過ぎて、指先まで咬み切ってしまったわけでもあるまい。
それにしても、小指がないと傘は握りにくそうだ。
小指は盲腸のようにさしたる役割を担っていないというわけではなさそうだ(もっとも最近では盲腸の役割も再認識されているようだが)。普段はあまり役に立ちそうにない小指だが、これがないと手で行うさまざまな作業の精度と効率がガタンと落ちてしまう。曇天の下で妄想だけが私の頭のなかを駆け巡っていた。
傘、美人、失われた小指、金に纏わるトラブル、闇の世界・・・。
受験の際に政治経済と日本史を選択した。週一回の日本史の授業ではとても近現代の美術史まではこなしきれなかった。一時は美術系の大学も志望先に考えたこともあった私は、受験勉強に疲れたときなどには、気分転換を兼ねて日本史の教科書の口絵などに見入っていた。
薄墨色の景色の中に、明治以降の美術史の頻出問題には鏑木清方と伊東深水の記述があったことを想い出した。二人とも美人画の系譜に屹立する巨人で、今にも消え入りそうな儚気な女性の姿を描いていた。鏑木や伊東なら、冬と春の狭間で雨模様に気を揉む女性をどんなシチュエーションに置いて描くのだろうか。
疏水を前に見越しの松と黒塀を背景にして、人待ち顔で佇む蛇の目傘を差す手弱女の姿が浮かんでくる。
「雨に紫陽花か」
紫色を中心に仄かな赤味や鮮やかな青色を纏って揺れている。珊瑚礁の間を泳ぐ極彩色に彩られた熱帯の海水魚のような紫陽花の花弁。その紫陽花の細かな花弁が、小さな白い空間を背景に揺蕩う青い鱗。紫陽花を背景に、そぼ降る驟雨を蛇の目傘で受ける丸髷の女。
そんな絵が思い浮かんでくる。
やがてバスがやってきた。
「ありがとうございました」
礼を言って、先にバスに乗り込んだ。
その人は最前部の座席に座り、三つ目のバス停で降りていった。
傘は人に持たれてはじめて一服の絵になる。
傘単独ではどうにも寂しい。
店頭に並べられている姿もどことなく収まりが悪い。
風雨の強い日に街角に放置された傘はなんとも哀れだ。もっと遣り切れないのは運河や側溝に破れて打ち捨てられた傘だ。無残としか言いようがない。
人の手にしっかりと握られてこそ傘の風情が匂い立つ。
男の無骨な手には柿渋の番傘が、女の人の華奢な手には蛇の目傘が映える。
あのとき、傘を差しかけてくれたあの人も、淡いピンクの花柄の華奢な洋傘だった。
持ちにくそうに差し掛けてくれたのだが・・・。
それが儚げで、そぼ降る雨のなか、一際風景を淡くしていた。
「まさか!」
まさか一幅の絵になるように、あの傘に似合うようにと自ら小指を詰めてしまったのではあるまい、あの人は・・・。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?