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第八十五話 犬と狸の運試し


「カサコソ、カサコソ」
庭で軽く枯葉を踏み締める音がする。
「誰もいない筈なのに・・・」
吹き寄せられた落ち葉の山で、ムクドリあたりが蚯蚓でも探しているのだろうか。硝子戸越しに見回しても何もいない。
「ここ暫く庭の手入れもしていないからなぁ」
音のする庭の端に近づいて地面に眼を遣ると、何か引き摺るような音が連続して起こった。暫く視線を庭に泳がせていると、小動物の影が見えた。私の影に驚いたのか、側溝を脱兎の如く走り去っていった。どうやら春先に産まれた小狸が犬の餌のおこぼれに与ろうと側溝に棲みついたようだ。
この秋、車の出し入れの邪魔にならないように、側溝の上に飼い犬のポチの小屋を移した。ポチは溜息を吐いた。
「せっかく車庫脇の陽当たりの好い場所で暮らしていたのに、側溝の上とは・・・」
好天が続いていたので暫く気づかなかったのだが、ポチの餌皿の上には雨樋が架かり、雨の日には勢いよく雨水が餌皿の上に落ちてくる。ポチが食べ残した餌は溢れた雨水に乗って側溝へと運ばれる。
小狸が側溝にドッグフードが流れ込むのを見つけたのは偶々だった。それ以来、雨が降ると決まって餌にありつけるので、小狸は齷齪餌探しをしなくてもよくなった。
子どもを連れてあちこち餌探しをする親狸たちを見て、小狸はしみじみ思った。
「俺はなんて運が好いんだ」
日頃の善行のお蔭かも知れないと思ったのも無理はない。小狸は蚯蚓や昆虫を時折り食べ、落ちている野菜屑などを主な食料としていた。弱った小鳥や鼠や土竜などには手を出さなかった。無用な殺生は避けていたのだ。
秋の空が高くなり、好天が数週間続いた。小狸は腹を空かせていた。
「夏の頃のように落命間際の蝉が落ちてきてはくれまいか。そろそろ熟した落柿にありつける頃ではあるまいか。秋の野分がやってきて、ドッグフードの皿の中身をひと浚いにする気配は・・・」などと都合の好い妄想に耽っていた。
腹がグゥと鳴った。先週、ドッグフードにありついてからもう一週間近く碌なものは口にしていないのだ。
小狸はこっそりと雨乞いをした。しかし雨が降る気配はなかった。小狸は諦めずにまた雨乞いをした。何度も何度も雨乞いをした。
小狸の祈りが通じたのか、数日後、ポツリポツリと雨が落ちてきた。
小狸は雀躍し、天に感謝した。
暫くすると、ドッグフードが流れてきた。小狸は己の強運に驚いた。
貪るようにドッグフードを食べ、あわてて食べたので少しむせてしまった。
雨雲が俄かに湧き上がり、雨脚を強めていた。
小狸は一心不乱にドッグフードを食べていた。
腹も一杯になったところで小狸は天を仰いだ。
空はどんよりと曇り、厚い黒雲に覆われ、雨脚はさらに強くなっていった。
満腹の後に睡魔が襲ってきた。
うとうととしたそのとき、遠くで地鳴りでもするような気配がした。
地鳴りは次第に近づいてくる。小狸には経験したことのない轟々と地を揺する音がそこまで近づいていた。
あっと云う間だった。小狸が気づいたときには華奢な身体は濁流に呑み込まれていた。
そのとき犬小屋からポチが顔を出し、天を仰いでポツリと言った。
「運の悪い奴だ」

 
 

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