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承認欲求を手っ取り早く満たしたかったら弁当を作れ

 エッセイっぽい話を書こうと思ってこのタイトルになりました。言いたいことはタイトルの通りです。じゃあなんで弁当を作るといいのかという話です。
 自分は3月から弁当を作りはじめて出社するときは8割位の確率で作っています。まあ最近は在宅が多いので作れてはいないんですが。短い期間ながら作ってみて感じたよかったことをつらつらと書こうと思います。

 承認欲求満たしたい時に皆さんは何をしますか?ゲームが好きな人ならゲームのスーパープレイとかやりこみをみせるとか。自撮りとか好きな人はいい感じの自撮りを取るとか、物書きさんはいい文章を書くとか。もちろん料理の写真を上げる人もいるでしょう。
 しかし令和のインターネットはプロアマ入り交じるインターネット戦国時代、どのコンテンツをやろうとしてもそこにはプロが必ずいてそれに皆目も耳も慣れています。その結果承認欲求を満たせるだけのいいねをもらうための「それなり」のハードルが上がっています。
 正直創作にせよ何にせよ、巧拙問わず完成させるだけで人間の位階がかなり高いのですが、世界はそう思わせてくれない感じなのが悲しいところです。

 しかし、弁当界隈は違います。市販の弁当箱に詰まった手作りの弁当は家族とか自分とか恋人とかそういう手の届く範囲の人に向けた、99%アマチュアの世界に見てくれる気がします。少なくともイラストとか写真とかよりは見る側の目が肥えていません。それにそもそも学生時代に家族に作ってもらっていたあるいは自分が弁当を作った経験がある人がほとんどなので、弁当を継続して作る、つまり完成させることの尊さを知っています。
 だから、朝やってることが10分だけ早く起きて弁当箱に詰めてるだけでもそれは誰が見ても「立派な完成された創作」なのです。
 自分も基本的に週末に1週間分の副菜を作っておいて(それも切るだけ和えるだけみたいなのがほとんど)、あとは前の日の晩ごはんをちょっと残して詰めるだけ。自分のこだわりとして卵焼きはほしいのでそれだけは朝作っていますが。それを写真にとってTwitterにInstagramにあげ、職場で弁当箱をあげるとそれだけで自分が何時間も練って書いたnoteとかよりもいいねがつくわ隣の席の同僚に関心されるわと悲しいかな嬉しいかなです。
 あと意地の悪い話、弁当の写真をみても不快になる人間はいません。絵とか文章に地雷要素があると文句を言ってくる人たまにいますが弁当に嫌いな食べ物がはいっていても不思議と「ピーマン使うな」と空中リプしてる人間をみたことがありません。みんな平和にいいねが稼げる。
 それに弁当を作るとQoLが跳ね上がります。そもそも、自分がうまいものは自分が一番よくわかっています。それが作れるようになればQoLは山よりも高く海よりも深くなります。もちろん1食どんなにかかってもワンコインを超えることはないので経済的にもいいです。量も適切な量を食べることができます。
 なのでみんな弁当を作って写真をあげて幸せになりましょう。弁当教、ここに始まりです。

最後になりますが一番よかったのはこのnoteを書くネタになったことです。このnoteが弁当の写真よりも伸びますように。

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