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この気持ちが新鮮でしあわせ

3ヶ月ぶりの合奏。みんなで会ったのもちょうど3ヶ月振り。暗闇だった場所に光が。あっという間ではなかったな。

今年は、2月に小さめの本番ひとつしただけで、コロナがひろまりはじめたり、ひどい風邪をひいたり、大雪が降ったりで、休んだりできなかったりが続いて緊急事態宣言発令自粛生活へ突入。

本番の延期、延期、延期。それでも諦めずに、再開を待ち望み、6月から再スタート。この日が楽しみで、色々な準備を入念に。

みんなの音がキラキラしていて、合奏できる喜びが音色にでていた。こんな風に感じたのは、15年目にして初めてだったので、練習の音を録音しておいてよかった。

翌週の練習は、場所が確保できないかもしれないということで、久々の合奏の日、心をひとつにして、今までにはないくらい広がって練習。

練習→換気→練習→換気…の繰り返しで、あっという間に過ぎてく時間。

翌週も練習場所が幸い確保できて、合奏をした。先週よりも、よりまとまっていて、来月の本番も大丈夫だ、という気持ちになれた。

わたしの曖昧な表現や、厳しい指導にも耐えて15年付き合ってくれる仲間。

練習の音を録音してみて思った感想を、みんなに伝えると、全然気にしていない、厳しいの?わたしたちができないからでしょ、むしろもっと言ってほしいよ、って。これにはびっくり。

意識が10年過ぎてから変わっていたのは実感していたけど、ここまでになっていたとは気付かないまま歩んできていた。

10年継続できることは幸せだった、でも、この先も続けていくのなら、ということを何度も何度も話してきた。若くないからこそ、意識を変えなければならない。そう、伝わらない点は、言葉をかえて、色々な視点からしつこく話してきた。

わたしよりも十数年長く生きているメンバー。

その年齢で、趣味の枠で、仕事しながらの生活で、と色々ある中で向き合うことは、簡単ではない。

完璧な仕上がりでないからこそ、課題が見えてきて、宿題を持ち帰ることができる。そして、答え合わせは、翌週、音を奏でて確認する。向き合えなかったという言い訳をするメンバーが居ないのは、なによりの恵み。

正解がはっきりしていないのもよいのかもしれない。



15周年が、予想と大きく異なっているが、向き合えるということを、改めて考えることができて、すごい1年だなと思いつつ、練習の音を聴きながら、楽譜に注意点を書き込んでいく。