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−山吹色− 生きる

体と心とが、離れてしまった。居直れ我が生命よ。

東京事変「生きる」

精神を病んでから、自分の生死の境目がずっと身近にあった。

孔子が五十で知ると言った天命は、二十余りの自分でも自ら操作し得ると悟り、その行使について逡巡した。(……孔子と行使でかけているわけではない!)

でも、いくら死を望んでも、60兆の細胞は各々元気に活動している。
心臓は24時間年中無休で働き続けていて、表皮を切れば血が流れ出す。

まさに、「体と心とが、離れてしまった。」状態だった。

そうして「生きる」の歌い出しが冒頭の引用の歌詞であることにいたく感心した。
生きることについて考えているとき、体と心は離れてしまっている。



しにたいしにたいと連呼していながらじゃあなぜ今も生きていられているのかと問われれば、答えは「しねないから」でしかない。いまだに。

積極的に生きているわけではない。
ただ、しんでいないだけ。

ぼくには、生きる勇気も、生への執着も、何もなくなってしまった。
一度ボロボロになった精神と虚無感とだけが残った。


でも、生きている理由をもう一つ付け加えるとすれば、お医者さんと、しなない約束をしたから。

ぼくは、自分のためには生きられない。
誰かのためだと思わないと。

ぼくが生きていること、元気になっていくことを喜んでくれる人がいるから、
しなない約束をしてくれた人がいるから、
ぼくはしなないでいます。
(その人たちとは、もう会えないかもしれないけど。)

生きていますとはまだ言えないけれど、しなないでいます。


なんてこの身は頼りないのだろう。
あまりに何も無い。

東京事変「生きる」



【山吹色】やまぶきいろ
山吹の花の色。
共感覚持ちのぼくには、「生」は山吹色に見えます。



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