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男性というだけで注目されるのは嫌だった。Jリーグ初の男性チアリーダー・米岡宝さんインタビュー |Diverstyle Book

5歳の頃から母親が経営するバトントワリング教室に通い、数少ない男性バトントワラーとして世界大会で3度のメダル獲得を果たした米岡宝さん。2020年からはJリーグ初の男性チアリーダーとして「アビスパ福岡チアリーダーズ」で活躍するほか、Bリーグ「熊本ヴォルターズ」でのハーフタイムのバトンパフォーマンスも務めるなど、パフォーマーとして多忙を極めています。その上、平日は母校となる中学・高校で非常勤の保健体育教師としても勤務。休みなく活動を続ける理由はどこにあるのか、競技人口の9割以上が女性と言われるバトントワリングの世界で育った米岡さんに、話を訊きました。

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「自分らしくない」と思えるくらいがおもしろい

——今回の取材場所となる米岡さんの「自分らしく感じる場所」として、「海沿い」を挙げていただきました。ゆったりとしたシルエットの私服のシャツも相まって、開放的な雰囲気での撮影になったと思います。普段着る洋服もゆったりとしたサイズ感のものが多いですか?

米岡:普段は体のサイズにフィットした服を着ることが多いんです。今年はビッグシルエットの服を着ている友人が多くて、僕も今まで自分が着たことないような大きめのサイズに挑戦してみました。ファッションは色味やサイズ、小物ひとつでその人の印象がガラリと変わるからおもしろいです。

——これまで着たことのないデザインやサイズの服を着るとき、「自分らしくないな、大丈夫かな」と悩む気持ちと、「今までとは違うからおもしろいぞ」という気持ち、どちらを持ちますか?

米岡:「これまでの自分らしくない」と思えるくらいがおもしろいと感じています。それはファッションだけでなく、バトンの練習にも言えます。同じことをずっと続けるのは性格的にも苦手だし、プレイヤーとして、現状維持ではなく常に進化することが重要だと考えているので、練習も反復ばかりではなく、変化を求めています。新しい練習方法を知ったらまずは挑戦することが多いですね。

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——これまでバトンを続けてきた中で、一番大きな変化はどのようなものだったでしょうか。

米岡:一番変化が顕著なのはメンタルトレーニングかもしれないです。試合に挑む直前に何をすると集中できるのか、理想のルーティンを知りたくて、本を読んだり、チャンピオン経験者に話を聞いたりしました。たとえば十代の頃は「手を洗う、うがいをする、歯磨きをする」を試合前のルーティンに定めていたんですけど、二十歳を越えた頃からそのルーティン自体をプレッシャーに感じるようになってしまった。今はあえてルーティンを決めずに大会に挑むこともあります。成績が下がる可能性もあるけれど、さらに上を目指すためには、トライ&エラーで変化を恐れないことが大事だと思っています。

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「男がバトンをやるのは恥ずかしい」と思っていた頃

——米岡さんはバトントワリングを5歳から始めて、20年近くにわたって競技を続けています。バトンを手にとったきっかけは何だったのでしょうか?

米岡:母がバトン教室を経営していて、2人の姉がそこに通っていたのもあって、よく体育館の隅で練習風景を見ていたんです。僕がバトンを始めるきっかけは、5歳のときにおこなわれた発表会でした。発表会直前になって発表者のひとりが欠場することになって、そこで僕が「おれ、踊れる」と言ったらしいです(笑)。当時から人前に出るのが好きだったし、人の真似をするのも得意だったから、意外とちゃんと踊れていたみたいで、母親もそれを見て選手にしようと思ったと聞きました。

——劇的なスタートだったんですね。同級生の男子はサッカーや野球など、競技人口が多いスポーツを始めると思いますが、その間もずっとバトンを続けていたのでしょうか?

米岡:思春期に差し掛かると「男がバトンをやっているのが恥ずかしい」と思うようになりました。バトンをしている男子は本当に少なかったし、練習自体は好きだけど、衣装を着て人前で踊ることに抵抗感を覚えていました。実際に1年ほどバトンから遠ざかってサッカー部に入っていた時期もあったんです。

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——どうして再びバトンを始めようと思ったんですか?

米岡:サッカーの練習を始めてすぐに「バトンの方がおもしろい!」と思ったんです。それに、サッカーは上手な友人がすでにたくさんいたので、自分が特別目立てるわけでもなくて、それならバトンの方がいいかなと(笑)。バトンを再開してから徐々に大会で良い成績を収めることが増えてきました。最初は「習い事でしょ?」と冷ややかな反応だった周囲の人たちも、結果が出るようになると徐々に僕をアスリートとして見てくれるようになりました。

——サッカーや野球と比べるとバトンはマイナーな競技ですし、競技人口の9割が女性といわれる世界です。一人だけ周りと違う道を歩むことを、どう思われましたか?

米岡:根本的に目立ちたがりな性格であることも大きいですが、人と違うことは特別なこと、ポジティブなことだと思っていました。とはいえ、通っていたクラブチームでは男子が僕だけだったので、さすがにそれは不安でしたね。でもそれも全国大会に行けば男性トワラーがたくさんいることがわかって解消されたんです。あの時、自分と同じように頑張っている男子もいると知れたからよかった。ずっと大会にも出ず、趣味としてのバトンを続けていたら、今日まで続けられなかったと思います。

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選手ではなく、パフォーマーという活路

——バトンをいつまで続けるか悩んだことはありますか?

米岡:高校時代に三者面談があって、担任の先生から「いつ辞めるの?」とハッキリ言われたことは今も覚えています。進学校だったのでアスリートを目指している人が少なかったし、「バトンの大会で遠征に行く」と言ってもあまり応援されなくて、公欠として認めてもらえず欠席扱いになっていました。バトンはマイナーなスポーツだし、軽んじられていたんでしょうね。

——担任の先生からネガティブなことを言われると思い悩んでしまいそうですね……。

米岡:その時期は友人に支えられていました。みんなが進路に悩む中で、「お前はバトンがあるからいいじゃん」「お前はそれでいけるやん」と言ってもらえたんです。何気ない一言だったと思うんですけど、僕の中ではそれが助けになったし、嬉しかったのを覚えています。それと、大学に入ってからはパフォーマーとしてお仕事をもらうことが増えていきました。プロバスケットボールチームの「熊本ヴォルターズ」のハーフタイムで踊らせてもらったり、サーカスからオファーが来たり。それまで競技者、選手として続けてきたバトンに、パフォーマーとしての道が拓かれたので、自分の活路が見えてきた気がしました。

——バトンのパフォーマーとしての仕事を具体的にイメージしたことがなかったです。一番印象的だったお仕事は、どんなものでしたか?

米岡:バトンの全米大会で優勝したら、フロリダのディズニーランドでエキシビジョンをやらせてもらえたんです。何千人ものお客さんの前で、たくさんの照明の中で踊って、大きな歓声をもらいました。アメリカはお客さんの盛り上がり方も派手だし、本当に華やかな舞台でした。こういう仕事をずっとやっていきたいと思えた瞬間でした。

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「男性」というだけで注目されるのは嫌だった

——パフォーマーとしての活路の一つに、アビスパ福岡のチアリーディングチーム「アビスパ福岡チアリーダーズ」に抜擢されたことがあると思います。「Jリーグ初の男性チアリーダー」としてメディアも複数取り上げていましたが、プレッシャーはなかったですか?

米岡:チアリーディングとバトントワリングは、多少似通った部分はあっても異なる競技です。新たなジャンルのパフォーマンスに挑戦することへの不安はありました。あとは、僕自身がJリーグのチアリーディングに対して「華やかで美しい女性の舞台」というイメージを持っていたので、そこに男が入ったとき、熱心に応援しているサポーターの皆さんはどう思うだろう? という不安も、もちろんありました。でも、実際にパフォーマンスをしたら好意的な声が圧倒的に多かったんです。嬉しかったですし、挑戦しないと見えなかった景色でした。

——チアリーディングならではの難しさや醍醐味はありますか?

米岡:バトンは屋内競技ですし、審査員は前方にだけいます。でもJリーグでのパフォーマンスは屋外のスタジアムで、お客さんは全方向にいる。その時点で見せ方は大きく異なってくるんですね。また、バトンは喜怒哀楽を表情でも表現しますが、チアリーディングは基本的にずっと笑顔です。観客に向けたアピールも含めて、初めての経験ばかりでした。とにかく上手な先輩にくっついて練習して、あとは動画を見たりして、1年目はとにかく勉強することが多かったです。男性というだけで注目されて「肝心のダンスは下手だ」とは絶対に言われたくなかったので、必死でした。

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——バトンの世界から転向してきた米岡さんのパフォーマンスを一番シビアに見ているのは、チアリーディングを続けてきた男性たちだったと思うんです。そういった方々のことはどのように思っていますか?

米岡:バトンも同じですが、そもそも男性の競技人口が極端に少ないので、男性プレイヤーはライバルである前に同志だと思っています。Jリーグも男性チアリーダーがこれからどんどん増えていくでしょうし、数少ない男性プレイヤーとして一緒に盛り上げていきたい。今の目標は、これまでチアリーダーをやってきた男性からもパフォーマンスを認められることです。プレイヤーとして欠けているところがないように、練習を続けたいです。

——メディアや観客が米岡さんに男性ならではのパフォーマンス、ひいては社会において"男らしい"とされるあり方を期待しているような姿勢を見受けることがあったのですが、その点についてはどうお考えですか?

米岡:僕は自分のことを「男性」というより「メンバーの中で最も派手なアクロバットができるプレイヤー」と考えています。パフォーマンスにおける男女差は体の大きさと筋肉量、というだけですね。僕自身、筋肉を活かしたアクロバットが一番見てほしいポイントなので、そこは強調するようにしていますね。

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バトントワラーの将来の選択肢を増やしたい

——バトンの世界大会メダリストでありながら、チアリーダーを含むパフォーマーとしても活躍して、平日は母校で非常勤の体育教師もされていますよね。かなりご多忙だと思うのですが、キャリアを一つに絞らないのはどうしてでしょうか?

米岡:どの職種にも違ったやりがいと責任があって、充実しているからですかね。平日は授業。土日はアビスパでチアリーディング。空いた時間はバトンの練習と、時には大会で海外遠征。ハードですけど、今日みたいなインタビューも気分転換になりますし、今はこの生活が自然だと思えています。

——学校で生徒と話すことで、パフォーマーとして刺激を得ることもありますか?

米岡:うーん、あくまでも体育の授業をしているのであって、バトンを教えているわけではないので、自分のパフォーマンスに影響していると思ったことはないです。でも、純粋に楽しいんですよ。最初は苦労しましたけど、生徒一人ひとりと向き合っていると、本当にみんな違うことを考えていておもしろいんです。これはあまり褒められた話ではないのですが、僕は大学を卒業する直前まで、教員になる予定はなかったんですね。ただ、ダンサーやパフォーマーという肩書きに対してマイナスの印象を抱く人はまだまだ多いから、教員免許のように社会的な信用を得られやすい資格があると安心できるかなと思って、教職課程に進んだんです。でも、教育実習に行ってみたら、担当の先生と生徒に恵まれて本当に楽しかった。教員としての道も残していていいんだなと思えたのは幸いでしたし、母校から声をかけてもらえて、すぐに非常勤講師として働くことができたのも運が良かったと思います。

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——数少ない男性バトントワラーとしての目標や、下の世代に伝えたいことなどはありますか?

米岡:バトントワリングという競技は、マイナーゆえに選手として活動を続けてもその先のキャリアが描きづらい競技です。僕がトワラーやパフォーマーとしていろんな道を拓くことで、次の世代のキャリアの選択肢を増やしてあげられたらと思っています。バトンを続けてもいい、チアリーダーになってもいい、教師を目指してもいい。いろんな選択肢があれば、バトンを辞めずに済むと思うんです。自分が小学生のとき、周りにバトンをやっている男子がいなかったことですごく悩んでいた時期があったし、僕と同じように「バトンは女の子のスポーツ」って固定観念にとらわれて自信を失くしている子もいるはずです。そういう子たちが僕の姿を見て、「男でもバトンやチアをやっていいんだ」とか「男がやってるからこんなに格好いいんだ」といったポジティブな感情を抱いてくれたらいいなと思っています。


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数少ない男性バトントワラー/男性チアリーダーとして活躍しながら、保健体育の教師としても慌ただしい日々を送る米岡さん。幼少期から「男性が少ないことが当たり前」とされるバトントワリングの世界で育ち、後輩たちの将来の選択肢を増やすために活動を続ける米岡さんの眼差しは、過去の米岡さん自身に向けられているようにも思えました。これから増えていくであろう男性チアリーダーの活躍にも期待しつつ、やりたいことを手離さずに生きられる将来が来ることを願っています。


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Diverstyle Book by IIQUAL

ジェンダーバイアスにとらわれず多様な生き方をする人々にフォーカスしたDiverstyle Book。IIQUALの服やスタイリングの参考になるだけでなく、その人の価値観や生き方といったストーリーを追った"ライフスタイルブック"です。

IIQUALが目指すのは、誰かが決めたららしさを脱げる服。自分のらしさを着られる服。「誰かが決めたらしさを脱ぐ服」というコンセプトで、メンズ・ウィメンズという概念のない服づくりに挑戦しています。詳しくは下記リンク先をご参照ください。


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