「表現とこころ賞」に参加してくれた記事まとめ②

さて、昨日に引き続き今日も「表現とこころ賞」に参加して頂いた方の記事をまとめていきたいと思います。

その①はこちら↓

一口に「表現とこころ」と言っても、捉え方は人それぞれ。
当然と言ってしまえばそれまでですが
この「表現とこころ」という言葉に多くの方が自分なりの意味や価値を見出し、それを公開してくれたこと。
数多くの「表現とこころ」に触れられる事を純粋に嬉しく思えました。

それでは早速行ってみましょう!

※ナンバリングは前回の続きです。
 敬称略


11、ひなこさん(あらしろひなこ)/書くことは墓場への荷物を減らすためだった

何かを書く時、それは自分に向けて問う時でもあります。
言語化することでその問いに僅かでも答えのようなものを求める側面。
消化しきれなかった日々の煩悶をどう処理すべきなのか。
捨てる事は決して悪い事ではありません。
言葉として表現をし、一旦整理する。整理とは取捨選択です。
有限の時間の中で、何を最後まで抱えて生きたいのか。
ひなこさんは共感を得たいわけではないと仰っていますが、感じ入るものがありました。
出来得るならば身軽になって純真に近づきたいものです。


12、松本 侃士/【#表現とこころ賞】 僕が「音楽」と「映画」を「言葉」にして綴る理由

言葉だけでは表現できないものが「音楽」「映画」として我々受け手の元へ届いた時、それらから得た感情を何で表すかとなった時、やはり言葉しかありません。
冷静な分析や解説ではなく、揺れ動かされたこころそのものを言葉として表現した時、書き手のこころは読み手にもきっと伝わるのでしょう。
そうして次の世代、また次の世代へと引き継がれてきたものが今の文化であり、これからの文化なのです。
松本さんはその言葉すら一つの作品だと言ってくれています。
僕もそんな素敵な循環で文化が昇華されていくことを願って止みません。


13、綿飴 海 Kai Wataame (Chika)/表現することを、あきらめるな。

相手に自分を分かってもらう事って容易ではありません。
そのもどかしさは遂に、自ら発信する事を諦めてしまう程深刻になる場合もあります。綿飴さんはそこで諦めてしまわず、自身を表現し続けることを選びました。これってとても大変なことです。
多分これを読んでいる方もきっと同じでしょう。
ある日突然に自分の表現したいものが伝わるのではありません。
綿飴さんのように日々の日課として少しずつ、少しずつ色々な方法で積み重なっていくものだと思います。
ターコイズグリーン。とても綺麗な色ですね。
素敵な色を携えて、前に進むために表現をしていって欲しいと願います。


14、コウスケ/ひょん

ふとした出会いが、素敵になることってあるんだなあと思わせてくれました。木のぬくもりというのは本当に不思議なもので、確かな硬さがあるのですがどことなく柔らかさを感じるというか。
ひょんさんが参加されたようびさんのHPのトップにある
「やがて 風景になる ものづくり」
これも一つの表現であり、こころです。
自分の生き方を見つめ直すきっかけになった出会いと経験。
是非大切にして欲しいと思います。


15、illy / 入谷 聡/INCLOSE PRINTER : 版画びとの見る世界

僕が版画と聞いて思い浮かぶのは葛飾北斎の『富嶽三十六景』ですが、記事内ではもっと身近なもの「インクローズ」を取り扱っています。
版画の特性上、描いていくというよりは重ねていくという方が正しいのでしょうか。入谷さんも述べていますが、デザインに近い領域なのかもしれません。デザインは引き算だとどこかで聞いたのですが、版画の主要な技法としてある凹版凸版も元の材質から削ることで生まれるのでそう感じるのかもしれません。
全く余談ですが、小学生の頃持っていた彫刻刀のケースは男の子のロマンを理解した素晴らしいデザインだと思います。


16、アルなか🎵/通り過ぎる人 ~#表現とこころ

心とは自分であり、その自分ですらも一つではなく、複数の集合体なのかもしれません。
ビー玉と、ガラス瓶という透明感のある比喩でそれを表現されています。
いつも嬉しいわけでも、いつも悲しいわけでもありません。
様々な色や形の感情が入っていて、時と場面によっていずれかが表に出てくる感覚。
何気ない日常の中でふと芽生えるものは、アルなか🎵さんが理想とするような「通り過ぎる人」の美しい残滓なのでしょう。
リズムよく、かつ希望を持てる作品でした。


17、ki_nya/ohana

緩く穏やかな画風の中にも、力強い暖かさが感じられます。
猫の胸から差し出されたバラにはどんな想いが込められているのでしょうか。一本のバラの花言葉は「あなたしかいない」
自分のこころを表現できるのはあなたしかいないという、応援の意味が感じられました。
色のぼやけ方もまた素敵で、これもまたこころという目に見えない不確かさを優しく表現されています。
何よりもこれを指で描かれたという衝撃の事実。
これは持論ですがやっぱり心って指に宿るのだなあ。


18、琴花酒/心(こころ)とか、メンタライジングとか、進化心理学とか、その辺りの話

琴花酒さんは、心というものを分析という形で表現してくれました。
本の情報等を自分なりの解釈でとのことですか、非常に興味深い内容が書かれています。
認知と共感という視点から心とは何だろうと迫る解読は、8,000字というボリュームでしたが、苦なく読むことが出来ます。
自身の中で矛盾が発生するのは、心(自分)が一枚岩ではないということ。
分析と共感は同時には出来ないということ。
内省を見つめるような作品が多い中で、新鮮な切り口でした。
人間には様々な面があり、「表現とこころ賞」においても捉えようのないものを多面的に表現してくれる可能性を見出してくれた作品でした。


19、yumi/兄とミルキーとお花畑

素敵なお兄さん。というよりyumiさん含め素敵な兄妹です。
お互いが助け合い信頼し、尊敬しあっていることが、文章内から強く伝わってきます。
経験したこと全てに意味があり、それが今のyumiさんになっているのでしょう。たくさんのミルキーという表現も甘く落ち着くような表現です。
人生を自由に楽しむこと。
自分らしくいられる場所をお花畑という言葉で表せる優しさと柔らかさ。
これからも多くのミルキー(経験)を噛み締めながら、素敵な人生を歩まれるでしょう。


20、伊藤緑/生きる

小説として、物語として、長い長い作品の中のほんの一部分を切り取ったような読了感でした。
表現の一つ一つが丁寧に作り込まれています。
「あかんから」と言うおばに人生の伴侶とはこういうものなのだろうかと考えさせてくれます。
かと思えば「書いてへんときも、書いとる」というおじの言葉。
表現とはそれ自体を行っている時以外からもう始まっているのでしょう。
何度でも読み返したくなる、そんな作品でした。



はい、という訳で本日も作品紹介させて頂きました。
あれですね。
こうして感想を書いていると、自分の語彙力の無さにビックリしますね。
僕の感想に対して「自分はそんなつもりで書いたんじゃない」という方、遠慮なく連絡ください。

表現って難しい。

その③は近日公開予定です。

貴方のその気持をいつか僕も 誰かに返せたらなと思います。