2021.4.25 タイムループ
第3次緊急事態宣言が東京、大阪、京都、兵庫で発令。
って、こんな早く再開されるとは・・・。こうなったら意地で続ける「緊急事態宣言日記」。あまりに早いので前のマガジンに統合。次に発令されたら「シン・汎人記」というマガジン作ろう(笑)
日記と言いつつ、毎日は書きませんが、それが長く続けるコツです(笑) 紙の日記もnoteも。
▼まるでタイムループ
思い出せば私たちは去年のGWも緊急事態宣言真っただ中だった。
失われた2020年・・・。2020年は「なかった」はずのに、私の体重はなぜか増えた。質量(脂肪)保存の法則(違)
▼何か、変わったんだろうか
ワクチン。医療従事者と高齢者の接種が始まった。名古屋の母親宅にもついに接種券が来たらしい。
この1年で医学的知見はどんどん進歩している、のかもしれない。
だが、現場はそう簡単にはカイゼンされないし、マンパワーもそんな劇的には増えない。短期間に医療従事者人口が二倍になったりはしない。人が育つには時間がかかる。どんなに金を積んでも、それは変えられないことだ。
あと「システム」も意外とすぐには改善されないんですねー。1年も経ってるのにねー。例えば、ワクチン接種は相応に進んでいるらしいのだが、接種状況をまとめるのがアナログ作業で、接種の進捗状況がリアルタイムでは反映されない、なんていう話も聞いた・・・。
まだそんなこと言ってるのか、と外野は簡単に思うが、私の職場だってまだ「fax」「ハンコ」から逃れられていないので、何も言えない。緊急事態宣言でも、テレワークなし、全員シフト通りに出勤。
アメリカのワクチン接種時の動画を(BS朝日の「町山智浩のアメリカの今を知るTV」で)見たけど、「スマホで予約→近所の店へ行く→予約してあるからさっさと案内→問診も予診もなし→いきなりショット→休憩→帰る」という、簡単すぎて逆に「3回も4回も打てたりしそうだがどうやって管理してるの?? 」と思うあっけなさ。どうやってるんだろう。日本はこの一部分でも参考にできたりしないのだろうか?
多分「システム」というのは「思い込み」と同じなんだろうと思う。一度出来上がると変えられない(みんながそう思い込んでいる世界では変わらない)のだろう。
医療現場もすぐ逼迫。1年間ずっとそう。
緊急事態宣言を解除する→患者が増える→逼迫→緊急事態宣言を出す(※最初に戻る)
当たり前だが、これは医療現場で働いている臨床のプロたちが悪いのではない。こうなるように、私たちが少しずつ、そうしていったからである。経済合理性を考えて病院を「経営」し、国とか自治体も「だよねー」とそれを追認し、国民も別に異を唱えなかったからである。
これを反省して、パンデミックが終わったら医療資源に予算を割いて余裕を持たせましょう。誰も反対する人はいないと思う。
▼オリンピックに向けて
聖火ランが各地で”強行”されている。
地元の名古屋でもランがあり、親戚が動画を送ってくれた。道路上のランナーの周りには、たくさんの人が集まり、写メをとっていて「密」だった(親戚はそれには加わらず、ビルの上から撮影)。でもさ、見に行くよね。だって聖火が走ってるんだから!!
一部地域では、観客同士の密などを避けるためだろう、「無観客ラン」、というレディ・ゴディバか密教の祭事みたいなことになっていた。なんか聖火に申し訳ない。そもそも、福島での聖火ラン初日で、火、消えたし。不吉だったなあれは。
余談だが、親戚から「私の父が学生時代に愛知県の聖火ランナーをつとめた(前の東京五輪で)」という衝撃のエピソードが明かされた。え、初耳!! 生きてたら、めっちゃ自慢してきたんだろうなー。
▼人生もそうだけど。
この、コロナパンデミックの「不幸」を「数」で捉えるのは結構むずかしいなというのが私の正直な思いだ。
数だけじゃなくて、視点をどこに置くかで何とでも言えてしまう気がする。
何かと「比べる」ことは大事である。何かと比べて自分たちの立ち位置を確認する作業は必要だ。だが、そればかりだと、判断軸がなくなって、だいたいは「隣の芝生は青い」みたいになり、あまりいい考えは浮かばない。
東アジアの中で日本は死者数(死者率)が比較的多いという報道があった。でもアメリカの死亡者数に比べたら?(もちろん、本当は死者を比べるものではないが)。
イギリスやアメリカは驚異的なスピードでワクチンを打っていて、「アメリカはできてるのに、日本はなんで遅いんだ」みたいな気持ちにもなる。でも、アメリカはあれだけの犠牲を払ったからこそ、とにかくワクチンを打つことができているのかもしれない。じゃあ、日本には後どれだけの犠牲が必要なのか?
▼今あるもの
こういう時は、今あるものを大事にする思考に切り替える。
私も「楽しいことなんか何もないな、出口見えないし、この先どうなるんだよ・・・」と1日1回は思う。私の人生の楽しみの半分は、友達と会って食事しながらおしゃべりすることなのだ。それが一切できない。一人のごはん飽きた。一人で酒飲んでも物足りないし、何食べてもおいしくない時もある。
・・・でも、今のところ健康だし、ありがたいことに働き口はあるし、食べ物は店に行けば買えるし、Netflixあるし、その気になればオンラインで友達の顔を見ることができる。
店に食べ物がない、という国だってたくさんある。コロナより権力者が怖い、という政情の国もたくさんある。
「外国」がうらやましく思える時もあるけど、日本と同じく抑え込めていない国は多分ほとんど同じような状況だと思う。
「ロックダウン→解除→ロックダウン→解除」
または
「ずーーーーーーーーーっとロックダウン」
・・・どっちがいいかなんてわからない。
先進国の場合、このパンデミック下で、いいところ(プラス)と悪いところ(マイナス)の総和は、あまり変わらないと私は思っている。
この1年。
日本政府が何したいのかわからないし(「何したい」という目標はなくて、その場のノリで動いてるんだと思うが)、メディアもどうしたいのかよくわからないし、給付金も追加はないし、満員電車もハンコもなくならない。でも強硬なロックダウンは今のところなかったし、家族のありがたみを感じた人たちも多くいたようだし、感染者数は世界的に見れば少ない方だし、治安が劇的に悪化したりということもなかった。
アメリカは、ものすごい死者が出たし、Qアノンを信じる人たちが大量発生したり、BLMや大統領選挙での分断があって、コロナ以外も大変だった。その代わり、給付金は早かったし、ワクチンも早い。
その「いいところ」が自分に合っていれば、「マシだな」と感じるんだと思う。
▼なんといっても、このウイルスは、現在は、人類より上手(うわて)だ。
でも永遠にこの状況が続くわけではない。
なので、長期的には悲観せず、淡々と1日を生きる。その間、できることをやる。しかない。1年前と言ってること変わってないな。タイムループ。
これからも書き(描き)続けます。見守ってくださいm(__)m