2021.5.12-13 この状況がきついのは私だけじゃないけど、きついね。
▼12日(水)
午前中は、スクールの課題について考えるZOOM打ち合わせ。掃除、運動をかねて買い物、図書館で本を借りる。あとはひたすら寝た。
▼図書館開いてた。開いてたのはうれしいのだが、なんで緊急事態宣言を延ばしたのに、制限が緩んでるんだろう。。。科学的根拠は特に示されずに変更されたし。
前も書いたが、人間のやる気を削ぐのは「矛盾したorder」。どんどん怒る気力も反論する気も検証する気も失せる。場当たり的な意味不明なorderに振り回されすぎて、ただ、その日生きられればいいという気持ちになっていく。
コロナ後の日本の国民性はどうなっているんだろう。
今よりもさらに上からの命令をよく聞くさらに従順な国民性になってるのか。
それとも「もう政府なんかアテにしてられない!」「何もしないなら黙っててよ」と、自分たちで勝手連作っていろんなことドンドン改革してっちゃう感じになるか。
私は前者になると思うが、若者たちは違うのかもしれない。
壮大な実験だ。
▼13日(木)
スクール。変異株怖いけど、行かないとできないこともある。。。
今日は、初級レベルの生徒さん(欧米の方)が一生懸命、最大限自分の使っている語彙と文型を使って話そうとしていて、ちょっと感動した。自分にとっての「かわいい生徒(性的な意味ではない!!!!!)」は、どうしても、いる。えこひいきにならないよう、それぞれの生徒のいいところを見なければ。
自由課題についてまた考える。
▼他人事
ずっとコロナ始まってから不思議に思ってたのだが、
例えばテレビの街頭インタビューでコロナ政策についての質問をする。(こんな質問する方もする方だと思うが)
例:緊急事態宣言が発令されましたね
→「もっと延びると思います」「これで効果あるとは思いません」
例:(外に出てきている人たちに)この人込みをどう思いますか?
→「外に出たいですよね」「会社は出勤しないといけないから」
「すごい密ですね、怖い」「私は早く帰ります」
他人事感がすごい。
ちょっと前、自分の家族からも、ニュースの上っ面なぞったようなLINEが来て、その時、めちゃくちゃ腹が立った。なんでそんなに腹が立ったのか振り返ってみたら、上記の「完全な他人事感」に腹が立ったのだった。
で、よくよく考えたら自分もそうだった。ニュースの上っ面なぞりがち~~~。
なんか国民全員が批評家みたいになっていて、「自分たちがコロナ抑制のためにどう関わるか」という視点がないんだな、と今更思ったのだった。
お客様民主主義、というのだろうか。
いや、もちろん協力してる人は十分すぎるほど協力していて「これ以上何しろっていうんだよ!」「もう個人でやれることはない!」「あとは政治とか官僚とか雇用主の責任だろ!」と思ってる人も(職業や業態関係なく)多いし、それは一面の事実だと思う。私も思ってる。すごい思ってる。
ワクチン供給とかは、個人で関われることじゃないので、そこはもう頑張っていただくしかないと思う。・・・が、自分も街に出ておいて(もちろんその方にとっての必要な用事があったんだとは思うけど)インタビューされたら「人多いですよね」は、ちょっとないんじゃないかと思ったのだった。。。
でも私も、新宿駅で毎日毎晩思う。
「人多いな、テレワークしてくれよー」
よりによって全国で最も1日の乗降客数が多いと言われてる駅を、毎日通勤で使う。だって多摩民は新宿出ないと都心に出られないのです・・・。
でも自分の職場はテレワークしていない(できない、ということになっている)。
つまり「きつい」。毎日きつい。自分で文句言って、自分で突っ込んで、自分でモヤモヤしてる。ついついコロナのことで他人を責めてしまい、「いやそれはダメだ」と自分を責める。
▼(なんでもアメリカがいいわけではないけど)例えばアメリカでは新しい大統領が就任すると「100日間はハネムーン期間」という習慣があるらしい。メディアも国民も、3ヶ月間はとりあえずおおらかに見守るらしい。
※ただし、アメリカの報道機関の追及の厳しさは、それこそ東京新聞・望月記者の比ではない。その気になったらめちゃくちゃ厳しい質問をガンガンぶつける。ハネムーンが終わった後は日本より大変だ。そもそも大統領候補とか広報官になるまでに、厳しい論戦を勝ち抜いてきてる土壌があるから成り立つんだろうけど…。
でも最近の日本の首相は、就任直後から何やっても批判されるし、こっちも期待してない分「やっぱり! ダメじゃん!」と叩く。叩く割りに本当に痛いところは突かない。
「政府も頑張っているんだから批判したら可哀想」とは全く思わないものの、批判ばっかりされたらむくれちゃう(スネちゃう)かなー(特にスガ首相は逆切れする)・・・などとも思ったりした。
まあ本当は、こんな程度のことでスネないでほしいし、そもそも評価できる箇所などほとんどないけど。
政界にも国民にも「議論」できる人がすごく少ない。私も論理立てた「議論」がとても苦手である(法律業界で働くには致命的な欠陥…それもあってこの業界をあきらめた)。
首相の答弁とか常に質問とかみ合ってないしなあ。
言いたいことだけ言い張るんだったら、それは議論ではない。
そもそも議論することでより良い解(解決法)を見つけよう、という意識も、そういう概念すらないのかもしれない。なんで「議論」するかといえば、それは別に戦争でも相手を屈服させるためでもなく、自分一人の小さな頭で考えたのより、もっとマシな解が見つかるかもしれないからである。正解ではなく、マシな解というところがポイントだ。
首相、
友達いるのかなあ・・・・(´;ω;`) ←大きなお世話だよ!!
これからも書き(描き)続けます。見守ってくださいm(__)m