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江戸時代の陸上輸送は大変、という話

 長い中断の後、脈絡なく江戸時代の話になります。下記の本を読んで、メモを残したくなりました。日本国内が多くの「国境」によって分断されていたはるかな昔のお話ということで、ご勘弁を。

 弘化4年(1847年)、越後国柏崎の武士が、大地震の被害が甚大な信州松代藩へお見舞い米三百俵を運搬する下準備を命じられました。任務を託された渡部勝之助は歴史上の有名人物ではありません。その名がごく一部にしろ知られているのは、彼の残した膨大な量の日記が活字化され、その内容を紹介する新書が出版されているからです(下級武士の米日記加藤淳子、平凡社新書、2011年)。

 本書で私が特に興味を惹かれたのは、大量の米を陸送するための手配について記述されていることでした。江戸時代の物資の輸送に関して、菱垣廻船など海運については学校でも教えられる一方、内陸部の輸送のことには殆ど触れられないようです。当時の陸送は、実はかなり面倒くさい事業でした。

 そもそも、なぜ輸送の下準備が必要だったのでしょう? 今なら、トラックに積んで行けばすむわけですが、当時の陸送は人足や馬が主力です。それも出発地の輸送隊が目的地まで進むのではなく、宿場ごとに馬や人足が交代して荷物を運ぶのです。そうした輸送手段の手配だけでなく、他の藩や点在する幕府領を通過するための許諾を得る必要もありました。かくして、実際の運搬の前に、渡部が経由予定の藩や宿場へ下準備におもむくことになったのです。

 各宿場で、人足や馬を手配する問屋と打ち合わせをし、値段の交渉をします。通常時の輸送ではないためか、三割増しの料金を請求されることもありました。人も馬も地域の農家などから臨時に集める必要があったのでしょう。一方で、緊急時の見舞いという事情を考慮してくれる良心的な問屋もあります。こうした交渉を数多い宿場でいちいち行うのです。

 最初の重要な経由地である高田藩では……
①荷物を中継する問屋から、街道を仕切っている高田藩の担当役人が誰かを聞き出す。
②宿で、担当の役人あてに丁寧な書面をしたためて送る。
③だいぶ経ってから返事があり、役人が宿に来るというので、渡部は身なりを整え部屋を片づけて待つ。
④来訪した役人に、飯山街道を使って米を送りたいとお願いする(飯山から千曲川の水運を利用するため。事前に通常の経由地の地震被害が甚大だと分かっていた)。
⑤役人は役所に戻った後、断りの返事を寄こす。飯山街道での公的な米の輸送は前例がない、同街道は他藩や幕府領を通過するので高田藩には裁量の権限がない、云々。
⑥渡部は飯山街道経由の輸送を断念し、通常の善光寺回り北国街道経由に輸送計画を変更して問屋に手配をする。

『下級武士の米日記』p161の地図

 その後も、別の宿場の問屋に冷たいあしらいを受けたり、汚い飛脚宿に泊まったり、地震の被害のために輸送の手配ができなかったりといった難事をくぐり抜けつつ、目的地である松代藩に到着します。柏崎への帰路でも輸送の手配をしてようやく準備が整います。渡部が運送業者の手代らと共に柏崎を進発したのは6月14日、帰着は同月23日でした。その後、見舞いの米は無事に松代藩に届けられることになります。

 山坂の多い日本の内陸部で物資の輸送が苦労なのは容易に想像がつきます。しかし、大変なのは物理的な問題だけではなかったのです。藩領や幕府領などで「国境」を超える許可をもらったり、各地の問屋に荷物を託して運んだもらったりと、制度や規制の壁にも悩まされます。

 海上輸送では、こうした障壁に陸路ほど煩わされずにすみます。推察するに、それは船が陸送よりも大量輸送に適していることと並ぶほどの利点であり、両者が相まって、当時の航海の危険性を上回る「魅力」となっていたのではないでしょうか。

 北斎富嶽三十六景神奈川沖浪裏」の図には、煩わしい陸地のしがらみを離れ、危険を顧みずに荒波を乗り越えていく、当時の船舶輸送の爽快さも表現されているのだと、私には感じられるようになりました。

・上記の震災は、弘化4年3月24日(1847年5月8日)の善光寺地震(マグニチュード7.4)。長野盆地(善光寺平)一帯の被害が大きかったそうです。
・日記は、実際には、柏崎に赴任していた渡部勝之助と桑名本家に住む父(勝之助は養子)との間で互いの消息を記した交換日記。
・柏崎は当時桑名藩の領地で、松代藩に見舞米を届けたのは、桑名藩と領主が兄弟どうしであるという縁によるもの。
・タイトルの絵は広重の東海道五十三次「藤枝 人馬継立」。宿場での荷物の引き継ぎの様子が描かれています。
・私は、三菱の創始者にして日本の近代海運の開拓者である岩崎彌太郎に関心があり、一書をものしています(『岩崎彌太郎 会社の創造』講談社現代新書、2010年。絶版)。幕末の陸送の実態に興味を持ったのは、海運との関連においてでした。彌太郎についてはやり残したことがあると考えていて、上記の本は、その関連で読んだものです。


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