とりうつ:平安フリースタイルとめもりーくりーなー

とりあえずとりとめもなく文字をたくさん打ち込みたくなったので、30分間とにかくテーマも構成もメッセージも無くいきあたりばったりに書き始めて満足したらある程度修正して表に出してみる、という遊びを考えた。
もしかすると後でおおげさに校正をして見出しなんかを付けちゃったりするかもしれないが、今の所そんなに体系立てた文になるとは思っていない。

まるで即興音楽のような文章なんて表現を使おうと思ったが、僕には別段構文テクニックがあるわけでもなく芸術的な感性もどうにも胡乱なものなのでそんな大仰な表現をしていいものかと少し悩み、結果省くことにした。

文章を書くことが好きな人間が数名集まって、カジュアルなジャズのように次々と自分の好きなフレーズをアドリブで注ぎ足していき、一つのインプロヴィゼーション・テキストを作るセッションというのは面白いかもしれないと考えたが、おそらくそれは全国的にラッパーと呼ばれる人たちがしているサイファーみたいなものだなと行き当たる。
奴らはリズムに理由ある言葉を詰め込みつつ韻も踏んで場合によっては数小節にいくつものミーニングをブチ込んでくるから恐ろしい。フリースタイルの強い人間は本当にワードシェルフの化け物だなぁと関心と同じだけの畏怖を抱く。B-BOYブンガクとはスチャダラパーの代表的な1曲だが、彼らが生み出しているのは正しくブンガクなのだろう。

しかし即興文学という言葉はあまり目にしないものだが、俳句や川柳のような詩歌はそういった表現をしても差し支えるものではないように思う。
5・7・5の発句と7・7の脇句を贈りあって綴る連歌は中世日本の上流階級で流行したものだが、思えばこれもフリースタイルラップである。かたや抑圧された黒人達の鬱屈した感情を叫び吐き捨てあう文化、かたや雅やかな殿上人達が暇に飽かして恋と夢を綴りあう文化。興味深いな。
これは今度ちょっと本腰入れて考えたいのでここで終わる。

僕は定期的に頭が言葉で埋め尽される時がある。
社会的コミュニケーションがあまり得意ではない僕は、何かしらコミュニケーションを取る必要が至近で予定される時、常に想像上の他人をシミュレートしてあらゆるリアクションパターンを想定した「会話の想定」を繰り返す癖があり、それが常に僕の思考リソースを割いていて気が付くとオーバーフローしてきてしまっていたりする。
特に明日は人と会う予定があるのだから今日は少し早く眠ろうかな、というタイミングで訪れると困ったもので「明日一緒に出かける相手との会話シミュレーション」で6時間ぐらい費やしてしまい、当日寝不足でぼんやりしてしまってほとんど会話をせずに終わることすらある。

そういう時は一度顔を洗うなりシャワーを浴びるなりしてリセットしないととりとめのなく延々と続けてしまう。むしろ実際会って本人と会話をすることよりもシミュレーションの方を楽しんでいる可能性まである。
この垂れ流し文を書いているのも、そんなループに陥りかけた際にあえてその他の思考の部分にリソースを割いて脳内メモリーをクリーンアップしてみようという実験でもある。

つまるところPCやスマホのメモリークリーナーと仕組みは同じだ。無駄で冗長な計算をする事でメモリを一時的に専有し、一気に開放することで一時的に空き領域が増えたように見えるのではないかという施策。
何かしら思考整理の成果があるようであれば続けてみようと思う。

そんな感じで30分。おしまい。

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