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中田サンガはなぜ終焉を迎えたのか

J2リーグも一区切り。
スポーツ紙としては溜めていたニュースを一斉に出す日です。
各クラブのサポーターは一喜一憂するでしょう。

さて、前日24日、僕は柏-京都の取材に行っていました。
結果は今更、書くつもりはありません。

https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2019/11/25/kiji/20191124s00002180564000c.html
なぜ、就任1年目の中田一三監督が退任するのか。

ここから先は少し内情に踏み込みます。チームを、選手を、監督を‘神聖化’する人は読まないで下さい。このままページを閉じて下さい。

本題に戻ります。では、なぜ中田監督は退任せざるを得ないのか。

その理由は当たり前ですが、京都サンガの「ここまで」にあります。

一言でいえば
選手と監督の「ボタンの掛け違い」
クラブと監督の「ベクトルの違い」だと分析しています。

中田監督は伊勢志摩FCを立ち上げ、監督や理事長などを歴任。
三重県2部リーグから東海1部リーグまで引き上げました。
熱狂的な支援者が西京極スタジアムに駆けつける姿も見たことがありますし、地元・三重のカリスマであることは推察できます。
同時にクラブ運営を行う経営者としての感覚を持っていた人だと思います。

一方、京都サンガは〝指揮官〟として中田監督を招聘しました。

ところが中田監督は選手との顔合わせで、指揮官の“カラー”を出しませんでした。
それは忘れもしない12月1日。選手に訓示を述べる時です。
サッカー観や昇格に向けた熱意ではなく、過去の功績や人脈の広さなどを口にしてしまったようです。
社長や経営者ならば許容範囲のことでしょう。ですが、中田監督はJクラブので指揮経験がありません。選手側も監督の力量を測りかねている中で一方的な〝マウント〟と捉える人もいました。
ファーストセッションで出来てしまった溝は小さいものでしたが、でも修繕されぬままシーズンに突入してしまったことは不幸で仕方ありません。
そして夏を境に成績は急降下し始めます。

そんな中、秋も深まりつつある時です。
複数の記者で囲んだ際に以下のような言葉を発しました。

https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2019/10/28/kiji/20191028s00002180279000c.html


僕個人としては、実は納得しうる話でした。
なぜなら長年、京都の取材をして感じているのはクラブ関係者もメディア(僕を含めて)もどこかネガティブな感情を持っているということ。
良くない時期が続くと自虐的になってしまう。
自分たちの力を必要以上に過小評価してしまう。
チームビルディングをする上で、マイナス感情は効果を薄れさせます。
実に勿体ないと思います。
その原因はJ2リーグに長く居続けたことによるものだと思います。
この壁をクリアすることは、古都のクラブが抱える問題と理解しています。

きっと中田監督は伊勢志摩FCで培った「組織論」を『よかれ』と思って口にしたのでしょう。

ですが、この話を聞いた時、衝撃を隠せませんでした。

例え、それが正論であっても公で口にするのは違うとも思えたからです(のちのち聞いたら、過去にも何度か同じような話はしていたらしいですが…)。
クラブ側が中田監督に与えたのは「監督」としての「現場」マネジメント。
「経営者」「コンサルティング」として「クラブ」マネジメントを預けたワケではありませんでした。
ツイッターを駆使するなどJリーグ界の革命家の発言は組織改革ではなく、「責任逃れ」「クラブ批判」と捉えられ「越権行為」と見なされてしまいました。
そしてプレーオフを逃した際には契約を延長しないという決断に至りました。

もしも…
スポーツの世界に「if」は禁句と分かりつつ記しますが
もしも、選手と監督の綻びが早い段階で修復されていたならば。
もしも、クラブと監督がもっと話し合いの場を持っていたならば。
もしも、互いに少しでも歩み寄る姿勢があったならば。

誰も負けようと思っていたわけじゃありません。誰かが誰かの足を引っ張ろうと画策したわけでもありません。
それぞれのプロとしてのスタンスがマッチングしなかった。1度狂った歯車はそのままで、次第に錆び付いて動けなくなってしまったのです。
だから「もしも」ができていれば、最後は違った結果も有り得たのではないか、と思うのです。
来年は、今季の反省や失敗を踏まえた上で、昇格を成し得て欲しいと願います。

ご精読ありがとうございました。
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