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下町そぞろめぐり2023 #4 みんなのアトリエ“おくらまえ“

みんなのアトリエ”おくらまえ”の由来について

「みんなのアトリエ おくらまえ」は蔵前 4 丁目の真行院さんの隣にオープンした人も資源も循環・交流できる場です。ワークショップ、セミナー、イベント開催のほか、地域の誰でも集えるスペースです。
みんなのアトリエ おくらまえ | 【みんなのアトリエおくらまえ】蔵前駅から3分! - レンタルスペースを簡単予約 (upnow.jp)

<真行院の隣にある“おくらまえ“>

この“おくらまえ“という名前は、江戸時代、この地域に幕府の米蔵があったことから、蔵前、御蔵前と呼ばれたことに由来します。今では街の姿がすっかり変わってしまいましたが、江戸時代には蔵前 1 丁目、2 丁目の国道 6 号線、江戸通りの隅田川沿いには幕府の米蔵が並んでいました。

米蔵が並んでいた江戸時代の蔵前

現代と江戸時代の蔵前を比較すると、下の地図のようになります。江戸時代の物流の中心は船だったことから、米蔵の周りに水路があります。また今でも昔の町割りが多く残っていることがわかります。

こちらの地図は大江戸今昔めぐりのアプリで作成したものです。
大江戸今昔めぐり (edomap.jp)

<大江戸今昔めぐりのアプリで作成>
<隅田川テラスは蔵をイメージしたデザインです>

米蔵は全国にあった幕府の直轄地から送られた米を収納するために造られた倉庫で、大阪、京都二条の御蔵と合わせて三御蔵と言われました。その中でも蔵前にあった浅草御蔵は特に重要な蔵で、米蔵の用地は元和 6 年(1620 年)に鳥越の丘を削り、その土砂で隅田河岸を整地して造成されました。

当時は 67 棟もの蔵があったことから、約 62 万 5 千俵(37,500t)の米を収納することができたそうです。この米は幕府の非常備蓄米としての役割と領地を持たない旗本、御家人に支給された給料でした。

米蔵の姿については隅田川テラスに大英博物館所蔵の「隅田川長流図巻」と江戸東京博物館蔵の「浅草御蔵絵図」のレプリカが展示されていて、当時の蔵前の風景が偲ばれます。

<こんな米蔵が並んでいたそうです>
<米蔵の平面図>

蔵前橋の浅草側には浅草御蔵跡の碑があります。

<浅草御蔵跡の碑>
<台東区の解説>

浅草御蔵は、隅田川の右岸に上流から 8 本の堀があり、それに面して米蔵が並んでいました。4 番堀と 5 番堀の間には「首尾の松」と言われた枝を川面に垂れた松の木がありました。現在では 7 代目の「首尾の松」が蔵前橋の両国側に植えられています。

<7代目の首尾の松>

蔵のイメージを探す街歩き

蔵前の街では今でも蔵をイメージした建物を見つけることができます。

<蔵をイメージしたマンションのエントランス>
<下水道局の施設も蔵のデザインです>

皆さんもスタンプラリーだけでなく、米蔵が並んでいた江戸時代をイメージしながら、蔵前の街歩きや隅田川テラスのウォーキングを楽しんでみてはいかがでしょうか。いろんな発見があると思います。


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