生活 20201114~20201120

11月14日(土)

ここんところ友達少ないモード(わたしの気分の問題)に突入していたけれど、朝起きたら何人かからメッセージが届いていてうれしかった。そうです、誕生日の朝です。この半年、人にあまり会わなかったせいで、それでも生きていけたせいで、友達いなくても平気なのだと思い込んでいたけど、一緒においしいもの食べて、くだらない話をだらだらとして、また会おうねって言って別れて、っていう日々の生活を取り戻しつつある11月に、「ああ、わたしこうやって人に会うの好きだったな」と回帰させてもらう時間だった。たいして会えていなくても、毎年メッセージを送ってくれる彼女たちのこと、本当にありがたく思っているよ。誕生日のメッセージは、「覚えているよ」の交換だから。

とはいえ、淡々とした日々は続くのでのこのことバイトへ行く。でもせっかくだからちょっとした贅沢を、と思ってバイト終わりに駅前でコーヒーした。ひとりで。本でも読んでゆっくり、というこの世の最上の贅沢をしようと思ったけど、翌日に控える仏検の対策に追われるのだった。それでも十分贅沢だった。家じゃないところで勉強すること。

起きれないからと枕元に赤本を積み上げて寝ている浪人生の妹も(そんなプレッシャーかけたところでちっとも起床時間が早くなってないのは知ってるよ)、プレゼントをくれた。こういうところちゃっかりしているのは、不思議だ。次女だからなのか、翌週が自分の誕生日だからなのか。毎年なにかしら用意してくれているし、しかもちゃんとわたしの好みをリサーチしていいものをくれたりする。

父はローストビーフを作っており、わたしはせっかくだからとフランスから持ち帰ったとっておきのフォアグラを開けた。フォアグラおいしい。単調な日々ではなかなか食べられない。

夜はフランスにいる恋人と電話をつなぐ。ちょっとばかり久しぶりだったけど、どうやら元気らしい。明日がお引越しだそうだ。仕事を辞めてからのここ数週間、心なしか、にこにこして見える。元気そうで何より。あとは、思えばわたしのPMSも帰国後引っ込んだので、わたしもにこにこしている。よかったね。なかなか同じものを共有できなくて、毎度「今週観たコンテンツ紹介」みたいになっていてもどかしいけど、まあそれはそれでいいか。わたしたち、よくやってるなーと自分で自分を褒めている。そうでないとやってられない。よくやってる。

11月15日(日)

仏検を受けに青学に行ってきた。渋谷がどんどん迷路になっていく。そして醜い。会場は青学の一号館で、銀杏並木が窓から見える一等席だった。夕陽が差し込んでちょっとまぶしい。コロナのおかげで窓は開け放たれていて、風がよく吹き込んだ。飛行機が低空飛行している。5分に一機やってくるので騒音甚だしい。飛行機は好きだけど、騒音はきらいだし、ああ、空気が汚れているな、と感じるし、なにせ本当に巨大に見えるので、宮益坂にそのまんま落ちてくる日がいつしか訪れるのでは、と疑ってしまう。たぶん青学は吹っ飛ぶだろうな、と思うくらい飛行経路の真下なのだった。(青学生よくこの騒音の中で授業受けられるなあ。感心)

帰りにラケルに寄る。昨日アド街で見て恋しくなった。おいしかった。パンととろとろのバターがとにかくおいしかった。

醜くなった渋谷ついでにヒカリエ探索と渋谷スクランブルスクエアの初開拓。妹に誕生日プレゼントを用意しようと思ってヒカリエを二周するも考えまとまらず。時

計をあげたいと思ったけど、デパコスのほうがいいか...?でもコロナで化粧しないしなーのループ。なんならうるさい目覚まし時計にしようかとも思った。ちなみに11月生まれ、冬の入り口なので防寒グッズをプレゼントにもらいがち。これあるあるです。

物欲の消え去ったわたしには久しぶりの商業ビルだったので、「ほしい!」と思ったものも5秒後には「いらないかもな~置く場所ないし」の繰り返しでほとんどなにも買わなかった。でもせっかくだから、と思って自分の誕生日祝いにスカーフを購入。最近スカーフのコレクションが好き。(マステ集めても使わないことに気づいたからスカーフとか靴下のほうが有用。)

欲しいピアスもあったけど、値段に逡巡しすぎて、運命じゃないかもな~と思って入社祝いまで延期した。デイリーでつけられる小ぶりのピアス、ちゃんとしたやつが欲しい。そんなこんなで家に帰って思いついたけど、母にはジュエリーのリフォームをねだろうと決めた。祖母から譲り受けた石たちが、メルカリにも出してもらえず玄関に転がっているので、これを毎年少しずつ使えるものにしたい。自分ではなかなかできないから、現金もらうよりずっと建設的だな、と思って名案を思い付いた自分に感心してる。

明日は9時からバイトだ。はじめての朝番。書いとかないと忘れてしまいそうだ。

11月16日(月)

バイト。

11月17日(火)

健康診断書を手に入れる都合で大学の近くまでいく。昔ながらの古~~~い診療所で、ちょっといやな顔されながら健康診断してきた。無駄にスペースの余った診療所で、なのにレントゲン室や廊下の隅に段ボールが積みあがったり脚立が覆い隠されていて、変。待合室には誰のかわからない銅像と家訓が掛けてある。謎。キャッシュレスまっしぐらで生活していたら、4000円の診療費払えなかった。コンビニに駆け込む。

大学にも書類提出のために寄る。東京、広すぎてこうしてあちらこちらと移動しているだけで人生終わるんじゃないか、という気になる。キャンパスには秋がきていた。紅葉がきれい。生協は閉店していた。休み期間かのように静まり返ったキャンパス、昼休みの時間にも人は大していない。

バイトの夜シフトは初めて。お客さんはほとんど来なかった。商品はたくさん余っちゃって、もったいなかった。捨てられてしまうのかも。昨日受けた配送の手続きが間違っていたらしくて店長に言われた。店締めのときにも片付けの仕方がちょっと違ったらしくて、店長に言われた。配送は社員さんと一緒に作業して確認して、「これおかしくないですか?」と聞いたけど「大丈夫」って答えられたからこうしたわけで、店締めの片付けもはじめてだったから間違えたわけで、(そうだよね、しょうがない、次は気を付けます)くらいの気持ちで全然へこまずにいる。ストレス少な目。伝えた側の伝え方と、聞いた側の確認不足。この世の大体のミスは、責任は半々だと思っている。

まあ、そんな感じだよね~、と気楽でいられるのは、今の私に心の余裕があるからだろうな、とも思う。前職は慣れるまで結構ひやひやしながら通勤してたもんな。今の仕事は前職の経験もあってか、はじめて二、三回で(こんな感じか)とすんなり受け入れられたのですごく楽。最低賃金で働く仕事も満足にできないと、自分の価値をすり減らすけど、最低賃金の仕事でも「わたし、これできるな」と思えると自信はつく。

11月18日(水)

夜、高校の友人とイスラエル料理食べに行った。もう何年も会ってない気になっていたけど、今年の1月に会っていたらしかった。言われるまで思い出さないわたしの記憶の杜撰さ。わたしは東京の西生まれで彼女は東京の東生まれで、わたしにとっては東京の東は本当に平たくて、一生の生活は想定できない場所、と伝えたら驚いていた。彼女は、海とも川ともつかない水辺近くにある場所がやはりいいらしい。彼女は運動の人だし、わたしは文化の人なので(高校の部活的にも)、そういうところも全然違うな、と思うけど、細々と関係が続けられている不思議さを思う。まあ彼女が積極的に声をかけてくれてつながっていられるのだけど。

わたしは考えていることを話すときに、ついつい自分を下げるような物言いをしているかもしれないな、とぼんやりとした気づきもあった。あとは、話過ぎてしまって相手のことを引き出せなかった、と後悔する日も多いので、聞き上手ではないのかもしれないな、とか。

11月19日(木)

木曜日は語学学校の日。今日は、いつもと違って乗り気ではなくて、朝起きた瞬間からあと15分寝たくて寝たくてたまらなかったけど、なんとか這いつくばって間に合わせたのだった。別に2時間寝たいわけじゃなくて、あと15分だけ寝たいだけなんだけど、というときが一番気持ち的につらい。行ったら行ったで楽しかった。いつも新しい視座がある。毎週驚かされることも多く、先週は3/12人がウィーンフィルのチケットを入手済みだったことに驚いたわけだけど、今週は5/12人がエジプトに旅行経験があって驚いてしまった。この12人の世界は、日本の平均値とはかけ離れている、と毎度思う。今日一番衝撃だったのは、一人の男性が音速ジェット機であるコンコルドに乗ったことがある、という経験を話していたことだった。すごい。すごすぎる。

通い始めた当初は、突きつけられる「文化資本」の格の違いに、怯んでいたけれど、今になってやっと、素直に彼らの広い視野に感服するようになった。親世代より上の世代に違いない彼らだけど、ジェンダーに対する価値観はかなり最先端だし、LGBTへの理解、環境問題への視点、表現の自由やテロに対する考え方と痛み、あらゆる問題に対して考えを持っていて、まあ、もちろんそうあるべきなんだけど、でもそれって簡単じゃないし、世代が上になればなるほど難しかったりするよね。やはり、いくつになっても新しいものを学ぼうと毎週語学学校に通う姿勢もだし、あえて時事問題について話し合い続けるこの授業を選択していることもだし、彼らのように自分もそうありたいな、と思うのであった。

あらゆる経験の深さに、資本を感じることももちろんあるけれど、自慢げに話すというより、そこからの発見が共有されていく感じの語りで、本当に資本があって経験があって知識があって時間がある人たちは、あらゆるものに余裕があるし、新しいものを受け入れられるし、ということも真実なのではなかろうか。結局、小金持ちはあくせくして、大金持ちはゆとりのあるおおらかな人間性、という仮説はあながち間違ってなさそうだな~と思う。

ところで、みんながマスクしている光景に慣れてきたけど。逆にだんだんと口元を隠さないと恥ずかしい、みたいな感情が芽生えはじめてしまった。(とかいいつつ、ひとけがなければ道では外します。車が来ていないことが百パーセントわかっていれば信号が赤でも横断歩道を渡るのと同じです。)こうして、口元はパーソナルな場所だから他人に見せないように隠しましょうね~ってなるのかもしれない。そうしたら、今後は、目元はパーソナルな場所だからサングラスかけましょうね~ってなるのかもしれない。っていうかそもそもわたしはパンツを履いて、ブラジャーをつけているけど、これらはパーソナルな場所だから隠しましょうね~って誰が決めたんだ?という気持ちになってくる。なんでわたしたち、服を着ているんだ?どういうことなんだ?毎日靴下を履いてその上から靴を履くけど、なんで毎日手袋はしないんだ?

11月20日(金)

今日は久しぶりに何もない日。というか、修論のためにあけておいた日。うっかり忘れていたけど、バイトをはじめてからというものの資格勉強のルーティーンがすっぽり抜け落ちてしまっていた。あと筋トレの習慣はそのもっと以前にすっぽり抜け落ちているわけだが。習慣を一つ続けていくのは大変だけど、複数続けていくのはもっと大変。

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