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「命拾い」した1年~書きたくなったから書く

帰宅時に、「命拾い」という言葉が思いうかんだ。今年を表現する一言である。普段「命拾い」は軽いノリで使うことが多い。僕が思い浮かんだ「命拾い」は、「自らが命を絶っていたかもしれないけど、何とか持ちこたえることができて、今生きている」ということ。「命が落ちそうなところ寸前で、拾い上げてもらった」ということ。
夏場に命を絶とうかと思っていた。人間関係だ。当時に、救ってくれた人が何人かいる。「おかげ様」という言葉を使って礼を言う。「おかげ様」がこんなに重くて、貴重な言葉だと感じたことはない。

年末になると思い出す一句がある。
「去年今年(こぞことし)棒の如きもの」~高浜虚子
学生時代、国語の時間に習った。僕は高浜虚子の句が好きだった。
僕はこの句を「年が変わっても、人生は一筋の棒のように続いている。信念を貫いて生きよ」と解釈している。

今年は、一度死にかけた命を拾ってもらった経験をした。
今日は帰宅時に「一度枯れた命が、再生して命を吹き返した」感覚を覚えた。天からふと降りてきた感覚。(これ以上言語化できない。)

ちょうど今は年末である。きりが良い。
過去を顧みず、これからの生き方を真っ白な気持ちで再考する。
「去年今年棒の如き」ではなく、若葉が芽吹いた気持ちで、新年を迎えたい。

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