船内不明者見えず~痛々しい記事を我ことと思う

水深100m以上に沈んだ「KAZU1」の船体調査が行われた
船内に不明者が確認できなかった。
地元の漁師が定置網を始めるため、本格的な捜索は本日(5日)が最後になるという。

船内に不明者が確認されなかったら、大海原から小さな人体を捜索するのは至難の業。時間が経ち過ぎている。
残された家族は、生存確認するまで、心が拘束され解放されない。

知床観光船が犯した過ちは、償っても償いきれない。
ルール違反が次々に明らかになり、憤りがさらに高まる。

◆組合間での話し合いで欠航と判断しても、航行を強行。
◆天候次第で引き返すことを条件に出航したが、連絡体制がとれていなかった。(無線故障、携帯電話圏外)
◆事故当時、社長は病院で、在社の社員に指示をしていなかった。

ルール違反が常習化していることが容易に想像できる。
問題は
◆営利企業である以上、利益が優先されることは当然であるが、その前に安全管理が必要である。
◆海事は生命の危機をと背中合わせである。危機管理を利益以上に優先しないといけない仕事である。
◆法律を守れば、何をしても良いという訳ではない。
◆法律で整備されていないこともある。
◆法律で整備されていないことでも、人命保護のために守れなけらばならないことはたくさんある。
◆あらゆる方法を尽くしても、人命を守れないこともある。
◆海事はそれほど危険を伴うものであること。

今回の事故は、他人事として捉えることができない。
ほとんどの仕事は、生命、財産に関わる仕事である。
自分たちの携わっている仕事も、直接的、間接的になんらかの形で関りがある。
法令や社内規を守ることはもちろんである。
さらに進んで、ルールにないことも顧客の安全のためにやるべきことをやる。
あらゆることを尽くしても、守れない場合がある。
事故を起こしてしまうと、取り返しのつかないことがたくさんある。

事故の痛々しい記事を読むたびに、我ことと思い背筋が伸びる。



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