極私的考察「証ノ巻」
※おことわり※
■タイトルにもあるようにこれは「極私的」な「考察」ですので、正式な解釈ではないということをご了承ください。
■このnoteには現在公演中の7 MEN 侍 LIVE 2024 and JOY!〜全国ホールツアー〜のネタバレが含まれています。
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今回のツアーでも自作のソロ曲を披露し、今までの激しめな曲調から一点、ピアノが映える綺麗な楽曲だな、と思ったのがTDC初日の印象だった。
わたしはピアノが出来る男性に弱いらしく、ああいうしっとりした楽曲を歌われると、心がほわほわする。普段、楽曲を聴く時は歌詞を重要視するタイプなのだが、ああいうピアノ曲は耳馴染みが良いからかメロディが先に頭に入ってくる。
だからか、ホールツアーに入るまで、ほとんど歌詞に注目したことが無かった。
TDCではピアノの弾き語りを披露していたので、ホルツ初日の静岡、何も持たず裸足で出てきて歌い出した本髙克樹を観た時は会場がざわついていた。
1度で2度美味しい的な。こんな魅せ方もありますよ的な。
歌詞に注目していなかったTDCでも、ここの言葉選びがすごく本髙克樹っぽいなと思ってた。
何が、とか上手く言えないけど、並んでる単語が克樹っぽい。
平均寿命、とか、明日は昨日になった、という言い回しから、まるでもう会えなくなった人へのラブソングみたいだな〜と思った。
なにせ、歌い出しが「温かいまま動いていますか」なので、額面通りに受け取ったらそれは生死を彷彿とさせるわけですよ。
かつて嵐の二宮和也さんが披露した「それはやっぱり君でした」という楽曲は、恐らくそういう二度と会えない人への想いを込められた楽曲なので、
その予備知識も相まって、そういう曲なんだと、思っていたわけですよ。
そう、
ホルツが始まるまでは。
ここです。
ここ、色付きのピンスポットがステージに落とされてるんですよ。
黄色、赤色、ピンク、白、紫。
この、緑以外の5色の上を、真っ白な衣装を身にまとった本髙克樹が歩きながら歌う、という演出なんですよ。
何気ない日々を彩ってくれた星たちは、きっとあの5色なんですよね。
ここの「同じだったかなあ」に「」が付いていたような気がするので書いてるんですけど、
星たちから見た僕も同じように何気ない日々を彩っている存在であったらいいな、と願ってるわけですよね、僕は。
これってもしかして、
もう会えなくなった人へのラブソングではなく、
メンバーに贈る楽曲なのでは??????
ここで記されている僕は作者:本髙克樹自身であって、星は周囲の輝かしい人たち(メンバー)を指しているのでは??????
だとすると、あのメンカラピンスポの上を歩く演出にも合点が行く。
夜空の輝きはまさしく星のこと、つまり、まだ見ぬ明日も星たちと共に生きて、星たちの存在が僕の生きていく道標になっている、ということなのではないか…?
ただ、周囲の輝かしい人たちというのはメンバー以外も含まれているように感じていて、
「埋めつくされた」という表現から、同じ事務所で切磋琢磨し合ってきた仲間たちを指しているようにも受け取れるんですよね。事務所内で埋もれて半ば惰性的に過ごしていたこともあったけれど、今のグループを結成したことで新たな人生の道標が出来た、という解釈。
もうひとつ考えられるのは、会場を埋めている痺愛なんじゃないかな、とも思いまして。
ペンライトで埋め尽くされた会場は、まさに色とりどりな夜空みたいで、そのペンライトを持っている痺愛の皆さんが星なんじゃないか、という解釈。
だから、メンバーに「いてくれてありがとう」だし、痺愛にも「いてくれてありがとう」なのかなあ、って。
夜空ってたとえ真っ暗でも遠くには必ず星があるんですよね。先が見えない暗闇にいたとしても、見えない先には必ず光がある。どうか消えないでと夜空を見上げるのは、自分が道標を失いたくないからだけではなくて、星たちと共に明日を迎えたいから、という気持ちも含まれているんじゃないでしょうか。
流れ星は夢を叶えるということの暗喩かなあと。
7 MEN 侍のライブは最後に必ずグループの名前を呼ばせてくれるんですけど、
その時にメンバーが横1列に並んで手を繋いで挨拶してくれるんですよ。
きっと、本髙克樹にとって手は、星たちと離れないように、同じ明日を迎えるために、ずっと握っておきたいんだと思います。
グループを結成する上で大切なのって、みんなで同じ方向性を向くことだと勝手に思っていて。(グループなんか結成したことないくせに)
価値観も年齢も過ごしてきた過程も全く異なる人同士がメンバーになって、同じ船に乗って、エンターテインメントという広い海を渡っていかなきゃいけない。
それってかなり難しくて、仮に本人たちの意思が固まっていても、船が進んでいないと判断されれば降ろされるし、船を進めるための風が吹かなきゃずっと停滞したままだし、
とにかく、この荒波の中で船を、グループを存在させ続けるのって、相当の覚悟が必要だと思うんですよ。
7 MEN 侍は前身グループを持っているメンバーがほとんどで、自分たちが頑張らなくてはグループが短命に終わるってことも、チャンスが限られているってことも知っている人たちの集まりっていうイメージ。
だから、温かいまま動いていますかなんだろうなあ、って。
同じ熱量じゃなきゃ、一緒に歩むのが大変だから。
「そばにいて」という歌詞も
どこかわがままにも聞こえるけど、これは決して自分よがりなものではなくて、
いつもグループを客観視しているからこそ、切実に祈っているのかもしれないなあ、って。
この楽曲を自ら作詞作曲し、
ピアノとコンテンポラリーダンスという両面から、自分を表現している本髙克樹さんもまた、
夢にもがき、夢に生きるアイドルなんだなあ、と感じました。
以上!
追伸
2011年8月27日に
この世界へ足を踏み入れた彼が
2024年8月27日の大阪夜公演で
「そばにいて」をあえて歌わなかったのには
何か特別な意味が込められていたのかな。
たくさんの選択肢がある中で
この道を選び続けてくれていることに
「ありがとう」の気持ちを込めて。
流れ星になるその日まで、
そばにいさせてください。
入所13周年、おめでとう。