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好きとオタクの違いってなんだと思いますか?

自分が「オタク」だと認識してるかどうかじゃないですかね?
好きとオタクに具体的な違いは無いと思います。

そもそも人が何かしらの物事を認識するのって、その言葉を知っているかどうかだと思うんですよね。

例えば私は、矢花くんの音楽に対する姿勢について「矜持」を感じているのですが、同じように「矜持」を感じるのは「矜持」という言葉を知っている人だけなんですよ。
この言葉を知らない人は矢花くんに対して「矜持」を感じる事がない。
代わりに「誇り高く自信がある」とか「誰にも譲れないプライドを持っている」のように、自分の知っている言葉で認識する。特に物事を形容する言葉だとそれが顕著に現れると思います。
(ちなみに「矜持」という言葉は、私が高校生の時の現代文の先生が教えてくれました。何となくかっこいいという理由だけで気に入っています。)

でもまあ、例え話に出した「矜持」よりも「オタク」という単語の方が"人を形容する言葉"の中で圧倒的に認知度高いじゃないですか。現代社会を生きる日本人はもちろん、今となっては世界共通の言葉になってたりするレベルですし。

じゃあどうして「好き」「オタク」に違いがあるように見えるのかというと、今度はその言葉に対する「解釈の違い」が関係してくると思うんですよね。

先程もお伝えしたように「オタク」という単語は、今や世界中で使われるほど認知されていますが、その解釈は人によって違う気がするんです。
チェック柄のシャツにメガネを付けてバンダナを巻いていた、いわゆる「平成初期のオタク」をイメージする人もいるだろうし、何かしらに特化して詳しいという印象を抱いている人もいるだろうし、アニメやマンガといったサブカルチャーが好きな人をまとめて「オタク」だと思っている人も、顔パネルやイッピ袋を持ってメンカラのつなぎを着た人を思い浮かべる人だっていると思います。

(ここで顔パネルやイッピ袋が分からなかった人へ。これが「言葉を知らないから物事が認識出来ない」ということの最も分かりやすい例です。興味があれば調べてみてください。)

言葉が持つ意味は明確にありますが、言葉というものは生きている人間が使う目に見えないモノなので、使う場面や時代によっても微妙に形が変わってくる、非常に不明確なモノでもあるんですよね。
ましてや、「好き」という言葉は感情を表す言葉で、その意味はその感情を生み出した人にしか分からないものです。他人と完全に共有し合うのは無理なものだと思うんですよ。だから、「好き」「オタク」の違いが人によって生まれてくるのではないでしょうか。

私が属しているアイドルオタクの界隈では、「時間やお金を掛けている度合い」で差別化をはかっているような気がしています。でもこの度合いだって、全世界共通のメーターがある訳ではなく、無数にいる人の個人的な尺度でしかないので、結局のところ違いを明確にすることなんて出来ないと思います。

と、ここまで堅苦しいことを連ねてきた私ですが、
・毎月どこかしらの現場に通っている
・自分でも意味わからんくらい円盤を買ってしまう
・推しが居ないと生きていけない
・でもコンテンツを全て追いきれてるわけではない
・リアタイ命って訳でもない
こんな自分のことを「オタク」だと認識しております。

どうかお手柔らかに。

興味深い質問ありがとうございました👶🏻👍🏻❣️

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