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#4 乳がんと確定診断されたときのこと

8月も終わり。夏休みは今日まで、というところが多いのでしょうか?
いろいろなところで花火大会やお祭りが3,4年ぶりに開催されてるなかで免疫力が落ちてるのでコロナが怖くて電車を避けたり人混みは気をつけるような日々を過ごしているとそういう夏のイベントに乗れないのだな、と少し寂しく感じる夏でした。

先日抗がん剤の4回目の投与も終わり、ちょっと前回より身体が重いかもと感じながら大きく体調を崩すこともなく過ごせています。
不眠気味なのが今の悩み。次から投与する薬が変わるのですが、そのうちの一つのHER2タイプに対しての薬は手術後も継続していかなくてはいけないと先日先生から伝えられて、しかも1年ほど…。そのことがストレスになっているのかもしれないです。

今回は乳がんと確定診断された頃のことを書こうと思います。
私は最初に検診を受けた病院で雑に「十中八九乳がん!」と言われたのですがちゃんと確定診断を受けたのは大きい病院で1ヶ月ほどいろいろな検査を受け、5月のゴールデンウィーク明けでした。
そこでは乳がんであるということが確定しただけで、そこから転移があるのかどうかを調べてから、根治できるかどうかがわかります。と伝えられました。つまり、根治できない可能性もある、とそのとき伝えられたのです。
私が治療を受けてる病院の先生は特にステージがいくつの乳がん、というのは仰らないので自分で調べてみた感じで転移がなかったらステージⅢ、転移があればステージⅣで緩和治療としての抗がん剤治療しかないのか…と知りました。
検査を受けて結果がわかるのはまた5月末になると。
その1ヶ月弱は不安、怖い、というよりもそうか、がんで死んでしまうのかもしれないのか。とどこか遠くから自分の状況を見ているような心地でした。
私は祖母や従姉妹を乳がんで亡くしていたり、父もがんで10年以上前に亡くしていて、がんに対して治るものよりも死の印象がどうしてもありました。
祖母を亡くしたのは私が小学生のときでしたが祖母が苦しんでいた姿は焼き付いていて…。父の最後も。苦しい病だと近くで見る機会が多かったです。

結果がどちらにせよ、抗がん剤治療を始めたら自分の体調がどうなるか全然わからない、人にそんなに気軽に会うことはできないのかもしれない。と1人で考え込むのを避けるようにその月は久しぶりな人にもあってお茶したり、ご飯をしたりしました。思えば、去年まで仕事などに追われて人とゆっくりお茶する時間も稀にしか作れていなかったです。
人に会って話す時間は思った以上に自分が励まされていました。
ぼんやりと死んでしまうのかな、という考えに偏っていた思考が少しずつ少しずつこうして周りにいる優しい人たちがいる世界にもう少しいたいな、生きたいな。という気持ちになっていきました。

去年取り組んでいたプロジェクトをやりきった末、私は心身ともにとても疲れていました。人とのわかりあえなさに心が折れていました。
そんな先でのがんの発見だったので自分が今いるところへの執着が全然なく、そういう流れなのか、ただここから去るのだろうと変な諦めの気持ちに落ち着いていました。妙に、静かでした。
でも、周りに「生きるよ!」と強く言い切ってくれる友人がいたり、ただ話を聞いてくれたり、とにかくお茶したい!という雑なinstagramストーリーに反応して会ってくれる人がいたり、もしかしたら末期の可能性もある、と大事な友人に伝えたらしょんぼりされたり、そういう人との交流のなかで疲れ切っていた心がいつのまにか回復しはじめて、ふつふつと「大丈夫なんじゃない?」と思い始めました。
大丈夫だよ!と背中を押して欲しかったのか、おりをみていく占い師に見てもらって「大丈夫よ!生まれ変わるだけよ!」と明るく言われました。
生きれる気がしてきました。生きれると思えたのは本当に周りの人たちのおかげです。私はひとりじゃなかった。

そうして、5月末になって検査の結果、全身への転移はなく根治を目指せる。と伝えられました。

生きれるんだ。
一度、強く死を意識して。「がんです」と伝えられた人はきっと意識せざるを得ないと思うし、私は今も意識として離れるわけではないです。
その暗闇に確かに繋がってるのだということが明確になったこと。そのことはもう変わらない。それは寛解しても変わらないこと。繋がった道があとどれだけあるのかということ。
でもだからこそ、生きるという光がより強くなりました。明瞭に。
ここまでしっかりと生きることを意識したこともこれまでなかったのです。生きていることは当たり前じゃないと頭ではわかっていたつもりでした。でも当たり前だと思ってたんだと、わかりました。
そのことを知ることができました。

生きるために、たくさんもらった優しさをちゃんと生きて返すために。
そのために治療に励みます。

確定診断されたときに、同時に伝えられたのは抗がん剤治療によって生理が止まり、治療を終えても戻らないかもしれないこと。そのために抗がん剤治療前に卵子凍結をすることがあること。
このことを伝えられて、私は子供が欲しいという願望を抱いたことがなかったのに、卵子凍結をするかどうか、とても悩みました。とても動揺しました。そのことについて次は書けたらと思います。


2023.8.31

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