見出し画像

いいだ健一の生い立ち

【生い立ち】

1984年、青森県野辺地市で二人兄妹の長男として、いいだ健一は生まれた。
父が茨城県で仕事をすることになり、
けんいちが3歳の時に茨城県龍ケ崎市へ。
父が多額の借金を抱える中で、父は工事現場の作業員で出張が多く家におらず、母はパートをしながら家計を支えるなかで、家で2つ下の妹ともに留守番をすることも多かったが、必ず手紙とお菓子を残してくれる母の愛情を感じながら育った。

両親の姿を通し、自分なりに今いる場所で何か貢献できないかと考え、中学校では生徒会長を努めた。小学校から始めた野球では、中学ではキャプテンも努めた。

高校時代は、県立の竜ヶ崎第一高校に入学し、部活は軟式野球部へ入部。 最終的にはキャプテンとして、茨城県で最優秀選手、MVPを取らせていただいた。http://wsuupaa.la.coocan.jp/wsuupaa06/wsuupaa06.html

そして、創価大学へ進学が決まるも、その当日に父がリストラ。 大学は卒業できるのか。不安だったが、アルバイトをしながら、奨学金をフルで借り、なんとか卒業。

卒業後、就職氷河期の中で就職浪人を経験し、法律事務所でのアルバイトを経て2008年に株式会社法学館へ入社。
現場でチーフとして営業力をつけながら、マーケティングやデータ分析等の力もつけていき、2013年にはスタートアップ企業でマーケティング担当として入社。主にデジタルマーケティング領域で、社内表彰制度のストイック賞を受賞。

その後、株式会社ラクスへ転職後、2019年にマーケター、コンサルタントとして調布市で独立起業をさせていただき、様々な企業の皆様とともに売れる仕組み構築、ニーズの創出に携わる。

この間、妻と結婚し、調布市に引っ越し、礼金ゼロの神代団地に入居。
団地では多くの皆様と交流も結ぶ。
そして妻が出産し、子育て世代になる。
子育ての大変さや、家計の苦しさもあったが、新たに公明党の取り組みにより創設された幼児教育の無償化に助けられ、また調布市の子育て制度や温かい地域の高齢者の皆様にも支えていただき、すくすくと子供も育つことができた。

こうした中で、地域への恩返しとより良い社会への貢献を果たしたいと考え、2020年6月のコロナ禍に公明党本部に入党。

全国の議員が使うシステムサポートの仕事、そして党の取り組みをテレビや新聞等を通じて広く知っていただく広報分野で業務に従事。

山口代表や石井幹事長のそばで働き、常に大衆と共にとの立党精神に基づき、議論し政策をまとめ、そして現実に実行する現場を見ることができたことは、いいだの財産に。

特に本年冒頭に起こった能登半島地震においては、石井幹事長に随行させていただき、現地の被災地の方の生の声を聞かせていただく機会をいただいた。
被災地の方が、公明党の地方議員の姿をみると、安堵され自然と涙を流されており、これが公明党議員の姿なんだと、改めて実感。

一人に寄り添う、一人を大切にする、
それを体現することを誓う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?