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加藤図書屋敷跡(愛知県名古屋市熱田区) 『どうする家康』に出なかった史跡③

前回の②「笠覆寺」で人質時代のことについてふれましたが、
織田家の人質時代を過ごしたといわれているのが
熱田神宮にほど近い、この加藤図書屋敷跡(熱田羽城跡)

今となっては遺構等残っておりませんが、
ここに若き家康がいた、もしかすると信長と会っていた
…と思いをはせれば(妄想すれば?)楽しいものです。

ちなみに、現在名古屋市中区大須にある万松寺にも竹千代が9歳くらいまで過ごしたという言い伝えがあるそうで、6歳で加藤図書屋敷へ→その後万松寺という流れで移動したと考えられているそうです。

最近では
・今川家の人質に行く予定が織田家の人質になったのではなく、
 最初から岡崎城を攻め落とした織田家の人質だったんじゃないか?

・今川家には人質として入ったのではなく、今川義元と氏真を支える
 重臣候補として英才教育を受けるなど大事にされていたんじゃないか?

などいろいろ説があったり解釈も変わりつつあったりするようです。
今回のドラマ内では人質のくだりはともかく、今川家で過ごしている様子は義元の期待を受け氏真に嫉妬されているといった感じでしたね。

どの説をとるかで賛否はでてくるでしょうが、情報をアップデートしてそういった点を人と話すのも歴史にふれる楽しさ、醍醐味と言えるのではないでしょうか。


加藤図書屋敷跡(熱田羽城跡)


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