見出し画像

働く、自分スタイルで(3)

(前回の続き、内省)

10年後の私は?って、自分の内側に聞いて出てきたイメージ像は・・・

赤いコート、薄手でウエストにベルト。黒いハイネックのセーター。着てないみたいに軽くて、暖かい。チャコールの編み上げブーツ。紐は黒、デザインのある紐。パールの、お花のイヤリング。赤、黒の入ったタータンチェックのボックスのスカート。

パリのカフェの外の席で、一人でお茶を飲んでいる。
何者でもない。自由。


自由じゃなかった頃も、自由に生きることも
ぜんぶ自分が選んだ世界。

昔は選べない、与えられた世界を生きるしかないと思っていたけど
今はわかる。

全部、自分で選んでた。無意識に。


あー、そうか!
深い、深いところで、やっぱり私は「自由」だった。

気づかずに選んでいたか、気づいて選んでいるか。
その違いだけ。

その違いだけっていってもねー(笑)
気づく前と、気づいてからの生き方、人生は雲泥の差。

こんな風にそのまま、ぜんぶを書くことで、自分の中に潜ったり、また浮上したり、自分を知っていく。思い出していく。

思い出したら、本当の私を生きてみる。未知の扉を開くのは怖いって思っても、大丈夫、本当は知ってるんだよ。だからやったら、できる。やってみたら怖くない。やったら思い出すからね。


「ずーっと働きたい、死ぬまで働きつづけたい」っていう言葉を発した時、
「それ、言ったらダメ、大変やん」って、脳裏によぎった。
でも、言った。

私の中に、まだ
「働く」ってことが「しんどいこと」「辛いことも頑張ってやらなければならないこと」っていう概念と結びついていたんだね。
古い定義の残像。


今の「働く」の定義は、「人が動く」ことで、はたが楽になる。
はたっていうのは、周りの人のことだよ。昔の言い方。「働く」は「はたらく」

自分が自然に動く、好奇心や興味に向かって動くことで、人が楽になる、人が喜ぶことになる。
そのためには、自分の自然な動きってなにかを知ってないと出来ないよね。

野生の王国がお手本だ。
みんなが自然。ライオンが木陰でくつろぐ草原で、シマウマが草を食む食むしている。
子供の時に不思議だった光景。
なんで、怖くないの?呑気に草食べてられるの?って。

食べられる時、動物は「痛い」って感じないって、聞いた。
うそ〜!そうなのかな?それってどういう感覚なんだろうって思ってたけど。
子供の頃に父と一緒に見たテレビのシーンが、大人になってから、シンボルとして、潜在意識の中で見た映像と結びついて、自分の中が統合していった。

みんな、自然だ。自然で大丈夫なんだ。


あー、私を素材として使ってくれる人がいたら、私はいっぱい働くよ。

同じ価値観、同じ場所を目指す人たちと仕事がしたい。
働くの大好きだもん。
自分が満ち足りて、満ちあふれていたら、人のために動くのって自然で、嬉しい、楽しい。

「働く」って言葉を調べてみた。

反対語が3つあった。

「働く」⇄「休む」
「働く」⇄「遊ぶ」
「働く」⇄「怠ける」

私の辞書はこんな感じ。
「働く=遊ぶ」⇄「休む」

休むは、木のそばに人って書くね。

爪や髪や肌がいい感じじゃないときは、たいがい「休む」が足りてない。
それか、「働く=遊ぶ」になってない。
もしくは自然が足りてない。自分のそのままの動きじゃないか、森や海や風の中で過ごす時間が足りてない。

カラダが教えてくれる。


***
エピローグ

「がんばって働いて、あと悠々自適」と「死ぬまで働きたい」のくだりで、人それぞれ概念が違うって書いたけど
これって、共通言語が共有できてないだけで、概念は同じって場合もある。

抽象的な言葉を使う時、抽象度の高い話題の時
まずは共通言語を作ることからしないと話がかみ合わない。


価値観が同じ、目指す方向が同じ、でも自分と違うタイプの人と
共通の好みのプロジェクトを立ち上げて、一緒に働けると楽しいだろうな!期間限定もいい。
そんな人と大きな未来へのヴィジョンを語り合いたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?