「結婚」はどのようにして「合理的」なのか?|イケハヤ結婚論
こんにちは、イケダハヤトです。
ちょっと趣向を変えて、結婚、つまり「愛する誰かとともに暮らすこと」について書いてみようと思います。
というのも、ぼくは結婚というのは「うまくやれば、非常に合理的」だと考えているのです。この社会においては「パートナーと共に生きる」ということは、合理的なんですよ。
もちろん「だから結婚すべきだ!」とは言いませんし、そこは個人の自由です。とりあえず結婚した人間として、この合理性を淡々と語っていきたいな、というわけです。「なるほど、結婚するとこういう点で、こういういいことがあるんだなぁ」と納得していただければ幸いです。
【目次】
1. 自分が変わっていく
2. 生活コストが下がる
3. ビジネス上のリスクを取りやすくなる
4. コミュニケーション欲求を満たせる
5. 様々なコミュニティに入りやすくなる
6. 「他人は他人」という割り切りができるようになる
おまけ:よくある疑問を論破しよう
ではいきましょう。
なお、「こどもを持つ合理性」については、また別の記事で書いていきます。ここでは純粋に「パートナーを得て生活する」ことのメリットについて扱います。
1. 自分が変わっていく。
愛する誰かと暮らすことの最大のメリットは、その強烈な「摩擦」によって、自分が変化していくことです。
ということは、裏を返すと、「自分は変化したくない」と考えている人は、独身で生きていくのをおすすめします。
パートナーとはいえ、誰かと一緒に暮らす上では、大なり小なり自分を調整していく必要があります。ぼくの場合は、こんな変化がありましたね。
まず、一般的にデメリット的に響くであろうのは、ここら辺ですかね。
・「妻以外の女性と会う機会」がめっきり減った(もともと少ないけど……)
・「妻以外の誰かと遊ぶ機会」がなくなった
・ゲームに没頭する時間が減った
これらはぼくにとっては、なんらデメリットではありません。コミュ障でハマり障なので、妻のおかげで真人間になれた感じです。独身だったら孤独にVRゲームをやっていたんだろうなぁ……。
ポジティブな変化としては、こういうものを経験しています。
・妻と喧嘩することで、ぼくの人格が磨かれた
・日常のなかで笑顔になることが増えた
・「寂しい」ということがなくなった
・さまざまなテーマについて妻と議論することで、考えが深まった
・旅行が楽しくなった
・食事が楽しくなった
もっとも大きいのは、「人格の向上」ですね。いやー、ぼくはマジで、妻がいなかったら今ごろ犯罪者になってますよ。ダークサイドに落ちて、はてなブログあたりで著名人を誹謗中傷しているかもしれません。
パートナーを得て、ともに暮らすことで、ぼくは「大人」になれた気がします。人間的な摩擦が、人をもっとも成長させます。諦めずに関係を続けることで、お互いがより善い人生を歩むことができるようになります。
うちの妻は「愛の実相は、あきらめないことである」みたいなことを言ってましたが、名言だと思います。誰?アリストテレス?すごいんですよ、うちの妻。
2. 生活コストが下がる。
もうちょっと現実的なラインでいくと、パートナーとともに暮らすことで、日々のコストが下がります。これはまぁ、当たり前といえば当たり前ですね。ルームシェアみたいなもんですから。
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